2008/05/14

AJPC’08東京予選通過! ~ポーカーの奥深い世界61(完結編)

ファイナルテーブルは10人、うち6名が予選通過となる。平均チップは15000点、私の持ちチップは12000点。見回すと10000点未満のショートスタックは5人。このままの位置を確保できれば残れる。そして上家がGONティーでチップリーダー、下家もそこそこチップを持っている。ボタン決めの結果、SBからの再開となる。

アンティ400の1500-3000、ここが終盤最大の勝負どころだった。みんな下りて順番が回ってきた場合、どうするか。下家のチップをちらっと見ると、私より3000点ほど多い。BBを守ろうとするより、無難にブラインドを受け流してショートスタックがつぶれるのを待ちたいはずだ。

だとしたら、ブラフが利く。ここでオールインした場合、こちらのチップ量が少ないだけに、そこそこのハンドとみるはず。相手の立場になって考えれば、勝負に出て勝てばいいけれど、もしもじゃんけんに負けると、次のSBでほとんど強制オールインになる。私なら、AKでも下りる。AA、KKでもない限り、ノータイムダウンである。

しかし下家は知らないプレイヤーである。もしかしたら「Aがあればコーるひと」かもしれない。そんなことを考えていたら、はたしてボタンのGONティーまで全部下りである。何か手がかりがほしい。1枚ずつめくる。AかKだったらもう一枚は見ないつもりだったが、3dだった。

もう一枚。何か手がかりくれよーと念じてカードをめくる。あれ・・・同じ色で同じ数字、3hである。手がかりができた。カードを戻して、チップを前に出す。「オールイン!」この日受けられて負けるとゲームセットになるオールインは、序盤のQTs以外はこの1回だけである。

下家はしばらく考えるが、こちらもペアだから受けられてもそれなりである。そして、結局下りてくれた。8500点のポットを獲得して、チップは18600点に。33を開いて見せたのだが、余計なことだったかもしれない。

ラウンド11は、アンティ500の2500-5000。他の予選もほぼここいらで決着している。BBはショートスタック、誰かがレイズしたいというところでQQ。もちろんレイズしてオールイン要求。BBは上少しだったのでコールしたが37で何も起こらず、ここもポット獲得して残りは7人、あと一人である。チップは29000点とほぼ安全圏に到達、後は何もしなくても大丈夫のはずだ

と思ってBBでもAが来ても全部下りていたのだが、あとの一人がなかなか決まらない。とんだ計算違いである。次からはアンティ1000の4000-8000という声がかかる。BBまであと3人、まずい、回ってきたら今度は私がショートスタックだ。思わずチップを数える。まだ20000点近くあるので1周は持つけれど、命がけのBBになってしまう。

そこで上家のGONティーがレイズメイク10000点、これにSBのひろママさんがリレイズオールイン。上に3000点くらいなので、GONティー「やばいなー」といいながらコール。ハンドオープン、GONティー99vsひろママAK、五分五分である。ここでGONティーが勝ってくれれば、6名確定でゲームセットである。ひろママには申し訳ないが、頼むGONティー、決めてくれー

フロップが開くとそこにはがあった。セットである。あとはよく覚えていない。最後が出たような気がするが、とにかくGONティーの、そして私の逃げ切りが決まった。「チッブリーダーの仕事だからね」と語るGONティーは、決勝進出を決めたテーブルの残りメンバーから握手攻めである(コスプレの君からは握手されなかったらしい)。

いろいろと作戦を考えてやっていたつもりだったけれど、計算違いで長期戦となって危なくなり、結局GONティーのおかげでようやく予選通過である。ポーカーはいくら計算してもそのとおり行かないし、なぜなんだろうというくらい確率どおりに決まらない。それでも勝って終わった時は、「ホントに、参っちゃうよなー」で済むのである。

この日の東京予選A~Cからは、いのさん、まおすさん、ちばさん、べいさん、ジェームス、GONティーといった顔なじみが決勝大会に進み、あとからAJPCライブレポートをみると夜の部のD~Eからはいそさん、かずさん、あんがーさんが勝ち上がっていた。来週の予選からはどんなメンバーが勝ち上がってくるのか、とても楽しみだ。

そして私であるが、これで来週は土曜日にシニア、日曜日にメインと連戦となった。もちろん、目標は2冠である。この日は3時間でAA、QQと来た。運が上向いてくれたら、もっとすごいことになるはずである。

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2008/05/13

AJPC’08東京予選 ~ポーカーの奥深い世界61(続き)

開始からまだ30分ほどしかたっていない。命がけのオールインだがこちらのハンドはQTクラブのスーツである。2人コールで開けないし、呼び込みもできないのはつらい。しかしブラインドよりかなり大きなオールインだから、コールした相手もハイペアか少なくともAK、AQあたりのハンドであろうと思われた。

フロップが開いて、クラブのローカードが3枚である。フロップフラッシュ。しかし喜ぶのはまだ早い。ライブプレイヤーはチェックチェック。ターンでハイカードが出たが、クラブではない。ここで一人がベット、もう一人がコールしてサイドポットができる。二人ともフラッシュはできていないようだが、1枚持っている、それもAかKである可能性は十分。

リバークラブだけはやめてくれ、と祈ったらダイヤ。予想通りどちらもクラブスーテッドではなく、サイドポットはハイカードのヒットで決まった。私の開く番。「エースペア?」という声が聞こえたが、もっといい役である。Qハイフラッシュ、これでショートスタックからトリプルアップして一気にテーブルのチップリーダーになってしまった。

こうなったら、積極的に行くのみである。おりしも4ラウンドからアンティが始まってポットが大きくなる。一度は死にかけた身である。ペアが入ったら迷わずレイズした。またこの日はペアがよく入った。2から10まで全部来たのではないだろうか。99でぬーぼーさんのAKにKヒットされてチップを減らしたり、77vs99から7がセットになり危ういところを脱したりしたが、少しずつチップは増えて10000点を超えた。

このあたりで特に印象深かったのは、テーブル移動したヨッシーさんとの3連戦である。残り3テーブルで1人がBBよりちょっと大きいオールイン、ヨッシーさんがレイズメイク800に対して、65sでコールしたらこれがストレートになった。その後、ヨッシーさんのレイズにAQでコールしてフロップが落ちたり、A5vsJJではAだけでなく234と落ちてストレートになったりして、ヨッシーさんにはちょっと申し訳なかった。

そして残り2テーブル、上家がショートスタックからオールインに対し、ハンドを見ると20時間ぶりのAA様である。相手を増やしたくないのでレイズオールイン。上家から出てきたのはA3、勝率85%である。3467と落ちて一瞬冷や汗をかいたが、なんとか逃げ切ってチップは18000点。

この時点で、さすがに予選通過を意識してしまった。勝ち抜けのトーナメントはチップ量1位になることが目標ではない。チップを1枚でも残すことが大切なのである。そして、チップ量優位な体勢を維持するため不必要なリスクテイクは避けたい。シフトチェンジして次のブラインド1500-3000は勝負せず、ボタンを通過したところでとうとうファイナルテーブルとなった。チップはおよそ12000点。ブラインドはアンティ400の1500-3000のままである。(この項続く)

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Mokkobara あまり関係ありませんが、家のもっこうばらがきれいに咲きました。(ほんとはちくわさんとメイドディーラーにしようと思ったけど、AJPCのサイトに載っているので・・・)

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2008/05/12

AJPC’08東京予選 ~ポーカーの奥深い世界61

いよいよAJPC(全日本ポーカー選手権)である。参加費無料で優勝すればWSOPメインイベントだから、電車賃を入れても完全に「オッズが合う」。ポーカープレイヤーのはしくれとして、参加しない訳にはいかないトーナメントである。

第二回の今年は、協賛団体枠がなくなって出られる予選も一つだけ、まさに一発勝負である。定員50人の予選が東京・大阪合わせて15、そこから各6名が本戦に勝ち抜けする。予選通過の90名に、シード10名が加わった100名で、チャンピオンを決める決勝大会が行われることになる。

そしてもう一つの大きな変更点が、ゲームの短時間化である。昨年の予選は1日がかりで100人を9名まで絞るというものであったが、今年は予選が多くなったため約3時間で50人を6名に絞る。ブラインドも15分おきに上がる。3000点持ちの 25-50で始まって1時間15分たったラウンド6には250-500のアンティ75と10倍以上にきつくなる。

さらに1時間後のラウンド10には1500-3000のアンティ400、原点の3000点持っていても強制オールインになる。そして大体このあたりがファイナルテーブルになるようだ。 感覚的には、上野の部室というよりもDUKEのトーナメントに近いかもしれない。

申し込んだのは2時半スタートの東京予選C。17日の土曜日はシニアトーナメントがあるので、11日しか予選に出られないのと、仮に早トビしてもこの日に行われるレディースDay1の熱戦がちょうど佳境に入るあたりだからである。

余裕をもって開始3時間前に会場のセガ本社に到着。ここは家から電車1本で着くのだが、2時間近く座っていなければならない。久し振りにお会いするリゾカジマスターやちくわさん(主催者)にごあいさつ。ハッターさんやサイキさん、マッコーさんもフロアーの中にいる。レディースはクラクラちゃんがチップリーダーで、生独さん(妻子持ちだが)が赤ちゃんの子守りをしている。しばらくご一緒させていただく。

東京予選のA組は12時スタート。観戦していたら、いのさんが88ペアオールインを2オーバーにコールされて、しかもヒットされてしまったにもかかわらず、リバー8が出て大逆転(フルハウス)というゲームを目の当たりにした。やっぱりこういうところを引けないと、短い時間のトーナメントは勝てないと思った。

顔なじみのみなさんと挨拶したりしていたら、あっという間にトーナメント開始時間の2時半になる。主催者発表によると参加者は48人、予選通過は6名。8分の1の確率である。私のテーブルには、めえめえさん(私的にはかなり苦手としている)とぬーぼーさんがいらっしゃるが、前後2人は知らないプレイヤーである。

しばらくは淡々とゲームが進行する。1ラウンドでATをスチールするが、相変わらずハンドは良くない。「手は入らないと思え」という先週の作戦を引き続きとるしかなさそうだ。なにせ、およそ80ハンドで勝負がついてしまうのである(実はこの予選はそんなに簡単に決着がつかなかったのだが)。

50-100の第2ラウンド、UTGの次でTT到着。レイズメイク450にBBからコールされる。フロップローカード。BB200ベットにレイズメイク800、しかしこれもコールされる。ターン、リバーともローカードでチェックチェック。BBが開いたのはJJ、一目負けている。あっという間にショートスタックである。

こうなっては仕方がない。そのすぐ後に来たのがQcTcここで粘っても仕方がないと思ってオールイン。観戦していたLupinさんから、後から「あそこはチルトになってたんじゃないの?」と言われてしまった場面である。2人がコールした。私が嫌いな、開けないオールインとなってしまった。(この項続く)

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2008/05/10

亀田興毅の協栄ジム契約解除問題

ゴールデンウィーク前から話題になっていた亀田兄弟と協栄ジムの契約問題だが、昨9日に正式に契約解除となり、亀田兄弟は協栄ジムをクビになった。これで、どこかのジムに再び所属しない限り、日本のリングには上がれないことになる。

前にも書いたように日本のボクシングジム制度は大相撲をお手本として作られていて、日本ボクシングコミッション(JBC)は日本相撲協会にあたる。相撲で「○○部屋」に所属していない力士が本場所に出られないのと同様、ボクシングでは「○○ジム」に所属していない選手は国内で試合をすることができないのである。

大相撲で横綱という最高位にあった双羽黒(ふたはぐろ=北尾)が、立浪部屋とのトラブルから廃業したのが1987年。ボクシングの西島洋介山がオサムジムとのトラブルからアメリカに渡ったのが1997年。約10年ごとにこうした問題が起こるのは、おもしろいといえばおもしろい。

大相撲で日本相撲協会から除名(廃業処分)になれば、国技館の土俵には上がれないし、仮に一人で場所を主催するとしても、相手として土俵に上がった力士もペナルティを受ける(さだやす圭「ああ播磨灘」)。ボクシングも国内に限れば同じことになるが、海外に活躍の場を求めるという選択肢が残っている分、まだ救われるといっていいかもしれない。

さて、こうした背景の下、亀田興毅(弟はこの際どうでもいい)が今後どうなるかであるが、ボクシング関係者の多くは「特例を認めるべきではない」「亀田家のゴネ得を許すな」という論調である。ずっと海外のリングでやるというならそれでもいいが、海外選手扱いで日本のリングに上がるのは許さない(例えばvs内藤、vs坂田)という見解が大勢を占めるようである。

ただこの点については私は違う意見を持っていて、この時代にジムに所属していなければ選手として認めないという制度自体に無理があると思っている。例えばホルヘ・リナレスなりエドウィン・バレロが帝拳から離れたとして、その後は日本で試合をさせないといったらどうなるのか。国籍が問題だというなら、徳山昌守だったらどうなのか。

JBCはあくまで選手としての資格認定(ライセンス)を司る機関なのであって、選手として不適格と判断するなら日本のリングには上げないというだけのことである。ジムに所属しているかいないかということは興行権に関する問題であって、「業界の秩序」と関係者が言っているのは「既存ジムの既得権益」というのと同義であろう。

そんなことを言っていたらジムの経営が成り立たないというのなら、商業ベースに乗らない商売が長く続けられる訳がないでしょうといいたい。こうした既得権益のせいで、日本のファンはIBFやWBOのチャンピオン、例えばノニト・ドネアやビック・ダルチニアンの実物を日本で見ることができないのだ。

亀田一家の横車には基本的に味方しないのだが、今回の一件についてはがんばって業界に風穴を開けてほしいと思ってしまった(といいつつ、来週にはあっさり新しい所属ジムが決まったりして)。

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2008/05/09

古事記の謎(2) ~常識で考える日本古代史40

3.1 古事記の書かれた背景(続き)

前回のあらすじ
古事記は680年頃天武天皇の発案により古代の記録を集めることからスタートし、712年元明天皇の時代に完成した。歴史の記録である以上、同時代のことが書かれていないのは分かるが、実際には100年前の記事もほとんどない。

このことは、古事記から8年後に完成した日本書紀と比べてみるとよく分かる。日本書紀は持統天皇紀が天皇の記録としては最後の部分となっている。

さて、この持統天皇の在位は690年から697年、日本書紀が完成した720年からみると、20~30年前のことである。当時の平均寿命は50代くらいだから、長老級の長生きした人達にとっても若い頃にあったことであり、歴史書に書かれていてもおかしくはない。おかしくはないが、このことと比べると、古事記に100年前のこともまともに書いていないというのは不思議である。

ここでひとつ考えられるのは、「事件として生々しすぎて書けない」という事情があったということである。古事記を発案したとされる天武天皇は672年の壬申の乱で近江朝廷(天智天皇の系統)を滅ぼして政権を掌握した。その天智天皇は、645年の大化改新で蘇我氏を滅ぼして政権を掌握した。その蘇我氏の政権は、推古天皇と聖徳太子の時代に蘇我馬子が大臣(おおおみ)になることにより確立した。

だから680年に古事記の編集が始まった時点で、天智天皇の功績をどう評価するかということは書きにくいし、さらに蘇我氏の評価、推古天皇や聖徳太子の評価についてもそのこととつながるので書くことは難しいかもしれない。しかし、せいぜいそこまであって、それより以前の天皇の歴史(業績)を書かない理由にはならないはずなのである。

ではなぜ、古事記には顕宗(けんぞう)天皇までしか実質的な記載がないのだろうか。推古天皇は33代、顕宗天皇は23代とされるので、天皇の代数としては10代、そして世代的には、(この二天皇の血縁関係は直系ではないけれども)ほぼ曽祖父世代にあたる。およそ100年と考えてよさそうだ。推古天皇まで100年間の事件は「生々しすぎて」書けなかったとして、さらにその前の100年は何の差しさわりがあって書けなかったのか。

そのことを考察する前段として、天皇の位がどのように継承されてきたか。いわゆる皇位継承について確認しておきたい。皇位は初代神武天皇以来現在に至るまで、「万世一系」つまり途絶えることなく男系男子により継承されてきたことになっている。しかし公式に残されている記録からだけでも、何度かにわたり遠い血縁関係による継承がなされてきたことが確認できるのである。(この項続く)

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2008/05/08

JSOPスト杯ミニ ~ポーカーの奥深い世界60(続き)

開始1時間半を超え、ラウンド6、200-400あたりからはいよいよサバイバル戦である。チップは原点あたりなので、感覚はほとんどノーリミットと変わらない。レイズ、リレイズが入るとオールイン覚悟である。

そろそろ手が来てもいいよと思ったのだが、ハイペアはまたお休み期間に入ってしまった。AKでレイズするが、コーられてフロップヒットしないとただのAハイ、打たれたら下りざるを得ない。AQからAヒットして辛くも命拾いするが、55はフロップAKxと出てダウン。そんなことをしている間にラウンドは進み300-600、さらに400-800となる。

テーブルは残り2テーブルからあと2、3人でファイナルというところまで整理されたが、私のチップもBBの2倍くらい。強制オールインが近い。手は入らないつもりだが、それでも少しは希望が持てるハンドでオールインしたい。UTGの次くらいで5h5dが来た。

テーブル残り6人なので、これで行くしかないとオールイン。ライブプレイヤー2人コール。そしてフロップは、347オールダイヤモンド。ガッツショットストフラドローである。そしてターンは2枚目の。5と6の6アウツはまず勝ちで、ダイヤの9アウツでも希望あり。ローカードばかりなので、もしかしたら現時点で勝っている可能性もある。

とにかく、ダイヤの6が出てしまえば相手が44だろうが77だろうが勝ちである。しかし、ライブプレイヤーがいるので呼び込みができない。だから開けないオールインはあまり好きではないのである。そしてリバーは。7ヒットがいたので5ペアは負けで、ここでゲームセットとなった。

こうして結果としてはあまり良くなかったのだけれど、ゲームが終わってからいつものようなもやもや感があまりなかった。おそらく、たくさんのゲームに参加したことと、最後にエキサイティングな展開となったことが原因なのではないかと思う。

そして夜の部のスト杯メインも、オールイン対決をK399で勝ち残り、最後AAとぶつかってしまった時もA3sだったのでわずかなチャンスが残るなど、そこそこ善戦して5テーブルで12位、現在の調子からするとまずまずの結果を残すことができた。

この日の2戦、計6時間をプラスして、AAが入らない連続時間は18時間に伸びた。1時間40ハンドとして、720ハンド、確率は2.6%である。運勢偏差値30といったところなので、まだまだ下に向かう余地はありそうである。来週はポーカーの祭典AJPC(全日本ポーカー選手権)東京予選だというのに。

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2008/05/07

JSOPスト杯ミニ ~ポーカーの奥深い世界60

JPPAに会員登録すると、上野ルームのライブ映像を見ることができる。ライブカメラはメインテーブル(窓から2番目)の上に取り付けられているのだが、この日の私の席はディーラーの正面あたり。そのため私の「寂しい頭頂部」がライブ映像にずっと映っていたことをひなどんから指摘されてしまった。

いまさら年より若く見えるなどと見栄を張るつもりはないのだが、やっぱりこういう映像(ひなたさんは携帯に撮ってきてくれたのである)を見るとシニアなんだなあと感じる。肩に力を入れたところで若い人たちには敵わないと改めて感じたので、次回からは年長者だということでいたわってやってください。

さて、連休後半の5月3日のスト杯ミニは、JSOPとの合同トーナメントである。JSOPは、JPPAがWSOPの日本版として毎年5月に開催しているシリーズで、さまざまの種類のトーナメントを行ってその年のチャンピオンを決めるものである。リミットホールデムをやると1ラウンドに手が集中して入ってしまうので不参加の予定だったが、せっかくなので参加することにした。

上野ルームに着くと、普段は2テーブルの土曜午後なのだが、3テーブルと盛況である。さすがに、JSOPのタイトルが懸かると違うようだ。そしてこの日のテーマは「手は入らないものと思え」である。現在の調子ではいいハンドは望めない。その前提で、どう勝負にしていくかということをテストしてみようという訳である。

1ラウンド25-50、目一杯打ち合っても500点くらいにしかならない。普段より多い4000点スタートなので、2、3回やられたところですぐに命がけということにはならないだろうということで、普段より多めにフロップを見に行く。心配していた1ラウンドに手が集中して入るということもなく、上位10%以外の手ばかりが入るが、原則的に、BBからカットオフまで4回はレイズが入ってもコールしてみた。

セカンドペアとかポジションで積極的にベット、レイズする。不思議とみんな下りてくれる。普段は参加しないJ5がフルになったり、2ラウンドに入って11時間ぶりのハイペアKKが入ったりしてくれて、チップは6500点を超える。好調である。

普段ならこのへんまで点数が増えると、シフトチェンジして人数がある程度減るのを待つのだが、今日は手が来ないのがテーマである。引き続き果敢にゲームに参加する。しかしこの頃から、微妙にボードに嫌われてしまう。ストドロ、フラドロは引けず、トップペアは2ペアやフラッシュにまくられる。ブラインドも75-150、100-200と大きくなっているので傷も大きい。

まあ、いつものことである。ゲーム開始30分で6500点まで増えたチップは、次の1時間で元に戻ってしまった。(この項続く)

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2008/05/02

古事記の謎(1) ~常識で考える日本古代史39

3.1 古事記の書かれた背景

魏志倭人伝と邪馬台国が3世紀の出来事であることは間違いないが、そこから8世紀初め、710年に奈良・平城京ができるまでの約500年間、日本列島で何が起こったのかは実のところよく分かっていない。

その最大の理由は中国側の史書と日本側のそれとが一致していないということであるが、それだけでなく、日本側の史料同士でも食い違う点が多い。一応、大和朝廷の正式な国史は「日本書紀」ということになっているが、ここに書かれていることは必ずしも「裏が取れる」事実ばかりではない。

その意味で、日本書紀に先立つわが国最古の歴史書である「古事記」を再検討することは重要である。実際、「古事記」をオリジナルとして内容を整理・拡充したのが日本書紀であることは、両書を読めばほぼ確実であると思われるのである。

江戸時代に入るまで古事記は日本書紀ほどにはきちんと管理されていなかったことから、日本書紀をもとに古事記が後の時代に作られたという「古事記偽書(にせもの)説」もあることも確かである。

ただ、日本書紀自体つじつまの合わない点があるのに、よりつじつまの合わないものを後の時代に作るという意図はよく分からず、その点からみると古事記の方が時間的には先に作られたと考えるのが妥当ではないかと思われる。したがって、古事記はその最初の部分に書かれている経緯により作成された、ということで話を進めたい。

それによると、「飛鳥清原大宮で天下を治められた天皇」(天武天皇)が、各家に残されているわが国に関する古い記録には誤りや不一致が多いので、きちんと整理して後世に伝えようとされたのが発端、ということになっている。

その際、各家の記録を暗記した担当者が稗田阿礼(ひえだのあれ)である。ところがその後天皇の代替わりにより、記録を整理し文書として残す作業は行われなかったという。それが和銅五年に至り、当代の「皇帝陛下」(元明天皇)の命により、太安万呂(おおのやすまろ)が古事記として完成した、とある。

さて、以上の内容を時系列で整理すると以下のようになる。天武天皇在位は672年から686年、この時代に古事記の編集作業が始まり、和銅五年、712年に完成した。その間には、飛鳥浄御原宮から藤原京、さらに平城京という首都移転プロジェクトがあり、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)、大宝律令という憲法制定プロジェクトがあった。

他にも、内政面では地方管理体制の強化、外交面では白村江の敗戦処理などの懸案事項が目白押しで、とても歴史書の編集にマンパワーを割ける状況ではなかったということは理解できる。

だから、古事記に書かれている内容は710年時点でなく680年を基準とした「歴史」のことであるのは仕方がない。同時代のことは「歴史」ではないので、その五十年前、あるいは百年前までのことが書かれているというのが普通であろう。

そして、古事記下巻は豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと・推古天皇)で終わっている。推古天皇在位は593年から628年とされているので、まさに680年からみて50~100年前ということになる。

ところが、推古天皇の記事は都のあった場所と、在位年数と、陵墓の位置だけのほぼ2、3行であり、推古天皇から前の何代かの天皇についても同様である。実質的に記事があるのは、10代前の顕宗(けんぞう)天皇までさかのぼらなければならない。(この項続く)

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