中山競馬場
わがギャンブル人生の出発点である。船橋市には、中山の他に、公営の船橋競馬場、船橋オートレースと3つのレース場があるのだが、中山は別格といっていい。なにしろ、当時船橋市立の小学校では、現場学習(まじめな遠足のようなもの)のお昼は中山競馬場のスタンドでというのが定番だったくらいである。
そんな環境だから、高校の時にはすでに競馬愛好会のようなものがあって、大レースの時にはレース予想をみんなで回していた。日曜日にも模試などで学校に行くことが多かったが、5科目終ると大抵メインレースの時間で、テストが終るやいなやラジオで実況を聞いたものである(当然ラジオは学校に持ってきてはいけないのだが、日曜なので大目にみてもらったようだ)。
そういうわけで、ギャンブルデビューも中山である(さすがに高校生の時は行ってませんが)。当時の中山はいまより2世代前のスタンドで、全館冷暖房なんてことはなくて上の方まで吹きっさらしだった。その分入場券だけでスタンドの5階くらいまで上ることができ、そのくらいまで上ると、おむすび型になっている向こう正面の奥(1200mのスタート地点)や、障害コースのバンケットの低いところまで見渡すことができた。ガラスを通さずに見るそうした光景は実に雄大で、時間を忘れて見入ってしまったことを思い出す。
その辺まで上がっても指定席でないくらい、当時は競馬がそれほどメジャーではなかったのだが、遮るものが何もないものだから風が吹いたり冬だったりするとひどく冷える。まして椅子はプラスチックである。新聞紙を敷くという方法はその頃からあったのだが、なつかしいのは1枚100円で座布団のレンタルをしていたことである。寒いときには重宝したものである。
食事時には、5階スタンド奥のラーメン屋に並んだ。椅子も何もない立ち食いで、メニューもラーメンとチャーシューメンとワンタンしかなかったと思う。そこで1杯400円だか500円だか(今思うとちょっと高い?)のラーメンを買って、スタンドの空いているところで立ったまま食べる。そして次のレースのパドックへと向かうのである。
スタンド全体も今よりかなり小さくて、道路の西側は厩舎だった(なんたって美浦トレセンのできる前である)。出入り口は今の4コーナーあたりで、負けるとそこから京成かJRまで「おけら街道」を歩く。いまファミレスのあるあたりにはビニール屋根のどでかい屋台の集合体みたいなのがあってヤケ酒を飲む人達でにぎわっていた。さらに得体の知れない出店や、デン助賭博などもあって、まだまだ戦後の雰囲気を残していたものである(この項続く)。
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