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2007/02/06

節分と旧正月(続き)

さて、昨日は節分から始まって二十四節、さらに旧正月の話まで太陰太陽暦について書いて、太陽暦で暮らしている我々と太陰太陽暦で暮らしている人たちの違和感(もっとも中国でも太陽暦の方がいまでは一般的)まで話を進めてきたのだが、そもそも暦というのはどうやってできてきたのだろうかというのが今日の考察である。

人類が誕生してから、太陽が昇って昼になり、沈んで夜になり、また昇ってくるまでの1周期というのが生活の基本的な1単位(起きて、活動して、眠って、また起きるまで)であるというのは当然のように認識されていたはずである。「日」というのがまさに太陽を示す言葉であることからもこのことは窺われる。もっとも人間の体内時計は26時間周期らしいのだが。そして1日の始まりはそもそもは日の出=起きる時間であり、だから初夢というのは1月1日が終わって眠った時=1月1日から2日に眠っている時にみる夢なのである。

そして、赤道近くにある地域を除いて、この「1日」の長さが毎日違うこと、それは太陽の高さに関係があること、日が短く太陽が低いときには寒くなることも理解されていたはずである。有史以前の古代遺跡等(ピラミッドとかストーンヘンジとか)でもこうした観測が行われていたらしく、太陽が高くなって低くなってまた高くなるまでの1周期=1年のサイクルで、災害(洪水や台風、干ばつなど)が起こりやすい時期があるらしいことも分かるだろうから、人類の歴史のかなり早い時期から、「年」という概念があったものと思われる。

そして人類が定住して農耕が始まるのだが、ここでも「年」のうちでどのサイクルかが分かれば、種まきや収穫の時期が決められる。つまり、この段階で暦は「年と日」だけで十分なのである。古代にはカレンダーなどというものは必要ないし(そもそも紙がない)、週休二日も月給もないのである。「2007年1の日」から「2007年365の日」でもほとんど不便はない。ここに「月」周期、つまり月が新月から満月になりまた新月に戻るまでの約30日のサイクルが必要となってきたかというと、私の推測ではおそらく漁業と海上輸送が始まったからだと思う。

月の満ち欠けは満潮・干潮のサイクルと一致するから、海を仕事場にする人たちにとって月の位置がどこにあるかはたいへんに重要なことである。そして1年の周期と1日の周期の間には365倍の開きがあるから、区切りとしてこの間にもう一つあった方が分かりやすい。それで、「年」と「日」との間に「月」が入ってきたのだろう。しかし、「月」周期と「年」周期とはサイクルが一致しない。「月」を優先すれば11日余るし、「年」を優先すれば11日足りない。これを、「月」の側をずらして対応したのが太陽暦だし、「年」の側をずらしたのが太陰太陽暦とみることもできる。

ちなみに、明治になって旧暦から新暦になった理由の一つが、新政府が支払う月給という概念ができて、旧暦(太陰太陽暦)だと3年が37ヵ月となって1ヵ月多くなってしまうということであったらしい。収穫にあわせて「年」貢を納めさせそれを配分すればいいのであればどちらの暦でも違いはないが、月に一度給料を支払うという取り決めにすると払う側にしてはそれではまずい。いま中国で太陽暦が一般的なのもそのあたりが影響しているような気がする(世界の大勢に合わせるということも、もちろんあるだろうが)。わたし的には、給料だけは旧暦でもらえたらすごくうれしいが、そうなるとローンも旧暦になるから同じことか。

ちなみに、「週」というのはご存知のとおり聖書で決められているもので、本来キリスト教(やユダヤ教、イスラム教も含め)の信者が従うサイクルであった。私の考えでは7日に1日の休みというのは狩猟民族的なサイクルで、農耕民族的には農閑期を除いて毎日働き、収穫が終わって次の種まきまでは休むというサイクルが自然なような気がする。ということで、ちょっと長くなりましたが。

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