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2007/08/31

実効支配(11) ~常識で考える日本古代史11

前回のあらすじ
倭国大乱は朝鮮半島南部からの民族大移動に伴う既存勢力との争いであったと考えられる。それにより、先進文明国であった半島の工業技術や国家制度が日本列島に移入されたではないか。

古代日本ではたして統一政権が成立することができたかという観点から議論してきたが、ここまでの私の主張をまとめると、以下のようになる。

① 紀元1世紀までの日本列島においては、余剰生産力とこれに伴う富の蓄積はほとんど行われていなかったと考えられる。これは、後漢安帝への朝貢(107年)において奴隷(生口)以外にさしたる輸出商品がなかったことからも推定される。このような状況では、領土の拡張には大きな意味はなく、統一国家を形成する動機(意味)がないといえる。

② しかし、3世紀半ばの邪馬台国においては、工業化が図られるとともに余剰生産力が生じていることがうかがわれ、これに伴い税金、国家体制もある程度整備されている。

③ この間、わずか100年余りの間に「倭国大乱」が起こったことが中国の史書に記録されている。その前後の大きな社会的変化と考え合わせると、当時の先進地域である朝鮮半島から、相当数の人口流入(民族大移動)があり、それがもとで混乱状態になったと考えるとつじつまが合う。

さて、日本史における時代区分では、倭国大乱後の2~3世紀が弥生時代後期、4~6世紀が古墳時代ということになっている。前者においては銅鐸・銅剣・銅戈・銅鏡をはじめとする青銅器が、後者においては副葬品を含む古墳が全国各地に遺物として分布している。よく考えるとこれらはいずれも、余剰生産力により生じたものであるという共通点を持っているのである。

以下ではまず、弥生時代後期における青銅器の製作について考察してみたい。

青銅器と鉄器では世界史的にみると青銅器の方がより早く成立したといわれるが、いずれにせよ紀元前には製鉄(銅)方法は確立しており、その製法が工業化というレベルで日本列島に入ってきたのも同時期とされる。それは倭国大乱といわれる時期であり、朝鮮半島からの人的移動と不可分であるというのがここまでの主張である。

その際、製鉄と製銅ではかなりその位置づけは異なっていたと思われる。というのは、鉄は「金の王なる哉=”鐡”」といわれるようにきわめて硬くかつ頑丈である。そして、定住し農耕を行う社会において、鉄の農機具があるかないかでは、作業の進み具合=生産力に大きな差が出てくるのである。併せて、武器として使う場合にも、きわめて強力な鏃(やじり)や刃となる。つまり、実用的であるということである。

これまで手作業やこわれやすい木製品で耕してした耕作地を、鉄製の農機具を使うことにより従来の何分の1かですますことができれば、より多くの収穫が得られたり、余った人数を他の作業に割り振ったりすることができる。別の言葉でいうと、GDPが増大して貯蓄することが可能となるのである。つまり、製鉄技術は農業生産性の向上にとって不可欠だったということである。(この項続く)

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