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2007/09/27

実効支配(14) ~常識で考える日本古代史14

1.6 神武東征から古代統一王権を推理する(1)

古事記と日本書紀は日本の古代史書の双璧である。成立は古事記の方が古く和銅5年(712年)、稗田阿礼が暗誦した帝紀・旧辞をもとに太安万侶が編纂したものとされる。一方日本書紀は勅撰(天皇の撰)による史書であり、舎人親王らによって養老4年(720年)に完成したとされる。

よく知られるようにこの時期は壬申の乱(672年)後で大和朝廷=天皇家の基盤が確立していく過程にあり、古事記はより古くからの伝承に近く日本書紀は天皇家に有利な補完・脚色がなされているという見方が一般的である。

そうした背景から今回は古事記の記載をもとに神武東征を考えることとするが、もちろん古事記にせよ日本書紀にせよ(以降記紀と書くことにする)史実と伝説がごちゃまぜになっていて、書かれていることをそのまま歴史上の事実と考えることは危険である。

一方で、古くから伝えられてきたことというのはそれなりに意味があるからこそ伝えられてきたのであり、その意味の中には「実際に事実としてあった非常に印象的なこと」というのも当然含まれる。だから、「これは伝説であり事実ではなかろう」といってすべて捨ててしまうという姿勢は、歴史を考える上で必ずしも正しいとはいえないだろう。

その意味でまず最初に指摘しておきたいことがある。記紀のそもそもの大筋は、アマテラスオオミカミを頂点とする天上の神々の直接の子孫である天皇家が日本を統一するというものなのだが、歴史上で実際に天皇家が統一王権を確立している以上、そこに軍事行動があったことは間違いないはずだ。しかし、記紀において大部隊が他地域を攻撃・占領するという物語、つまり軍記にあたる部分はほとんどなく、その数少ない例が神武東征なのである。

歴史に詳しい方だと、「じゃあヤマトタケルノミコト(日本武尊)はどうなんだ?」と言われるかもしれないが、ヤマトタケルは単騎で敵陣深く乗り込んでいって、だまし討ちや暗殺で敵の大将を討ち取るという物語なのである。小規模な集団同士の戦争ならともかく、大部隊と大部隊が戦う場合にそんなにうまく大将を殺せるはずはなく、大将一人を倒したところで戦争は終結しない。だから、ヤマトタケルの話はそれほど参考にはならないのである。

さて、日本書紀によれば紀元前660年とされる神武東征であるが、古事記には具体的な記載はない。記載はないけれども紀元前7世紀などということはありえず、大阪湾の形状(湾が生駒山近くまで深く入り込んでいた)等から紀元2~3世紀と想定されている。ちょうど倭国大乱から卑弥呼あたりの年代である。では神武天皇はどういうバックボーンをもっていたのか。

古事記によれば天孫降臨したニニギノミコトの孫であるウガヤフキアエズノミコトの四男という。一人の兄(途中で戦死)と一緒に東征したことになっているので、まだ二人の兄が出発地である九州にいたことになる。そう、神武天皇は九州にいたままでは王にはなれなかった、だから新天地を求めて船出したのである。(この項続く)

p.s.常識で考える日本古代史のバックナンバーはこちら

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