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2008/02/29

魏志倭人伝(16) ~常識で考える日本古代史33

2.4. 3世紀における倭の風俗(続き)

前回のあらすじ
魏志倭人伝の第二部では倭人の酒好きについて述べられているが、大和朝廷を構成していたとみられる弥生人(新モンゴロイド)のうちかなりの部分は酒が飲めなかったとみられ、その意味でも邪馬台国=近畿説は疑問である。

他にも倭人の風俗としてさまざまの内容が書かれているのだが、もう一つ注目してみたいのは倭の気候である。

倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。
倭の地は温暖であり、夏冬とも生野菜を食べることができる。皆はだしである。

倭は暖かいというのが魏の使節の第一印象である。また、その衣服についても次のように書かれている。

男子,其衣橫幅,但結束相連,略無縫。婦人,作衣如単被,穿其中央,貫頭衣之。
男は、横長の布を体に巻きただ結んでいるだけで、縫っていないようだ。女は、一重の衣を作り、その中央に穴をあけそこから頭を入れて着ている。

これを読む限り、布を一枚程度のことであり、重ね着しているようには読めない。もちろん、楽浪郡の置かれている現在の北朝鮮や、帯方郡のおかれている現在の韓国に比べると、日本は暖かい。暖かいのだが、それは決して全国一律ではない。例えば1月の気温を調べると次のような違いがある。

福岡市 最高気温 9.8℃ 最低気温 3.2℃ 12-2月真冬日 6.6日
長崎市 最高気温 10.3℃ 最低気温 3.6℃ 12-2月真冬日 5.9日
佐賀市 最高気温 9.5℃ 最低気温 0.8℃ 12-2月真冬日 21.4日
奈良市 最高気温 8.7℃ 最低気温 -0.3℃ 12-2月真冬日 46.8日
資料:気象庁HP、データは1970-2000年の30年平均。

一目見て分かるのは、九州北部と奈良の気候の違いである。真冬日とは最低気温が0℃を下回る日のことだが、冬期間3ヵ月のうち福岡、長崎はごくわずかの日が真冬日であり、佐賀市でも月に7日程度である。しかし奈良市ではその倍を超える46.8日が真冬日である。

もちろん九州北部にせよ、せいぜい1、2枚の布でしのげる寒さではないかもしれないが、冬の期間半分以上の日に池が凍ってしまう、霜が下りてしまう土地を指して、温暖というのかどうか。そして霜が毎日下りてしまうと、基本的に野菜はとれないのである。

このことからも、倭地は九州北部である可能性が大きいと考えられるのである。(この項終り)

p.s.「常識で考える日本古代史」のバックナンバーはこちら

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2008/02/28

珠海中葯谷(続き)

さて、タクシーの時間待ちがあったり渋滞があったりして、中葯谷に着いたのは7時半近くになってからだった。デポジットRMB\500を預けると、部屋に案内される。例のマッサージフロア「国医養生館」の上、3階が客室となっており、約20の客室がある。1ベットのVIPルームに通されるが、普通料金のため、サウナとスチームは使ったら有料ということである。

中国はあまりトイレがきれいでないところが多い。国医養生館のトイレも水洗ではあるのだが床面に四角く穴が開いている奴なので、客室もちょっと心配したのだが、普通の洋式トイレだったのでほっとした。洗面所もきれいだし、アメニティグッズもそろっている。ちゃんと扉のついたシャワールームもあった。

荷物を置き、部屋に置いてある作務衣に着替えて、まず食事である。昼に機内食を食べてから、8時間近く食べてないのでかなりお腹がすいた。ここには「葯膳館」という薬膳レストランがあるはずなのだが、時間が遅いためかあるはずの場所を見ても真っ暗である。仕方なく「珈琲庁」というところに入る。

メニューを持ってきたが、全部漢字である。アルコール類が書いてないので、「碑酒(ビール)はありますか?」と聞いたが、首を横に振る。健康テーマパークだからだろうか。メニューを見てもよく分からないので、RMB¥80ほどのコース料理をお願いするが、これもできないと言う。やれやれ。仕方がないので、鶏と野菜の炒め物らしきものと炒飯をオーダーする。

出されたお湯を飲みながら、料理を待つ。最初に来たのは鶏と野菜の炒め物、のはずだったのだが、何かやたら鶏が小さくきざんである。食べると、細く小さい骨のようなものがある。味は淡白でくせがないが、鶏のモモだったらあるはずの皮や脂がなく、これは断じて鶏ではない。そう。私がオーダーしたのはおそらく田鶏(カエル)なのであった。

まあとにかく炒飯はおいしかったので、お腹がふくれたところでお風呂へ。ここのお風呂は男女兼用で、水着着用であることは事前に調べてあった。なければ共用のものを貸してくれるのだが、もちろん自分のものを用意してある。更衣室を通って室内にプールと4、5の内風呂、外には大きなプールと露天風呂が10以上あるが、外は真っ暗でしかも大雨なのであきらめる。

内風呂は近づくだけですっぱい匂いがする醋湯や、茶湯、泡湯などがあるけれども、どれもぬるくて物足りない。唯一いい湯加減だったのは散寒湯というお風呂で、いろいろと薬草が入っていそうだったが、中国人にとっては熱すぎるせいか誰も入っていなかった。しばらくあたたまるが、海パン着用のせいか今一歩リラックスしない。

更衣室で再び作務衣に着替えて、いよいよ国医養生館でマッサージである。今回は「中医特色足療」と「中医特色四点全身療法」を1小時(1時間)ずつ、じっくりと体をほぐしてもらう。2時間でRMB\176、日本円で二千数百円なのだから格安以外に言うべき言葉がない。ほとんどひと気がなかった館内も、10時半すぎに部屋に戻る時にはマッサージ中の人が十数人いて結構にぎわっていた。

今回じっくり見て思ったのだが、この宿のコンセプトはどうみても日本の温泉宿である。ロゴマークはひらがなの「ゆ」だし、本格的なマッサージや薬膳に特色をおくというのも、日本人の発想に近い。そして名称の「珠海和田度暇村酒店」(度暇村は休暇村、酒店はホテルの意味。HPに飛べます)。和田というからには、ここはもともとヤオハンが出資してできたのかもしれない、と思ったりした。

Zhcmv2 中葯谷・和田酒店の客室。覚悟していたより、かなりきれいで驚きました。

Zhcmv3 翌朝になっても、まだ雨降り。屋根のようなものがみえるあたりが、露天風呂になっているらしいです。

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2008/02/27

珠海中葯谷

今年初めての海外は、なじみのマカオである。今回も広州便で、広州から珠海までは機場快線である。100km以上運んでくれるのに、片道RMB¥90(帰りはRMB¥81)、約1,400円くらいとお値打ちのお値段だが、現地仕様のバスなのでちょっと覚悟が必要である。着くまでの約3時間、トイレもなければトイレ休憩もないのだ。

3時10分発予定のバスは、定員一杯押し込んで3時半に空港を出る。このあたりすでに現地仕様である。空港を出たときには西日がまぶしかったのに、珠海に近づくにつれて雨が強く降ってきた。拱北(ゴンベイ)に着いたのはちょうど6時。到着場所がいつもと違い関門が正面に見える。帰りに気をつけなければ。

さて、土曜から火曜まで3泊4日の遠征だが、最近、星期六(土曜)のマカオのホテルは異常な高値が続いている。ほとんどすべてのホテルがHK$1000以上しているのである。つい何年か前まで、土曜日だって400~500で泊まっていたことを思うと、おとなしく払う気にはとてもならない。

だから今回はひと工夫を試みることにした。とりあえず、この道の達人であるさまよい人さんに教えていただいて何度か来たことがある、珠海の誇るマッサージ・テーマパーク中葯谷(ジョンヤオグウ)格安のマッサージでリラックスしてから、真夜中にマカオ入りしてそのまま徹夜で打ちまくろうと思ったのである。

そんなことを考えながらバスから降りて、すぐ近くの地下商店街入口からタクシー乗り場を目指して進んでいくと、ちょうど目の前に代理店がある。ふとみると、「珠海和田度暇村酒店 平日300 休日400」と書いてあるではないか。珠海和田度暇村酒店といえば中葯谷の正式名である。

確かホームページには、平日RMB¥880、休日は15%増と書いてあったはずだが、マカオと同様、珠海も公表価格と代理店価格には相当の差があるようであった。RMB¥400で泊まれるなら、全然お得だし、マッサージを受けてそのまま休めるのは何よりである。という訳で、急きょ予定を変更して中葯谷に泊まることにした。(この項続く)

注.現在、1RMB\=約16円、1HK$=約15円。人民元の方が1割ほど高い。

Zhcmv 中葯谷夜景。英語名をChinese Medicine Valleyというそうです。

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2008/02/26

「春分~夏至」と「秋分~冬至」どちらが長い?(続き)

さて、地球が太陽を回る軌道は楕円と説明したが、円との差はわずかである。地球と太陽の平均距離は約1億4950万km。近日点での距離が約1億4700万km、遠日点での距離は約1億5200万km、近日点と遠日点の距離差が1.6倍ある冥王星などと比べるとその差は小さい。

だから、地球が太陽から遠ざかる時期(夏)の方が動く距離が長くなるといっても、それだけでは夏の日数が多くなることの説明は十分でない。もう一つの要因が、ケプラーの第二法則といわれる軌道上を動く速さなのである。

宇宙空間は無重力であるので、軌道上を進む地球に対してかかっている力は、「軌道上を進んできてそのまま止まらないで動こうとする力(慣性)」と「太陽の引力」である。めんどくさい理屈を省略して簡単にいうと、太陽に近づく際には太陽の引力と動こうとする力が重なって早く進むし、遠ざかる際には打ち消しあってゆっくり進むということである。

つまり冬になると、地球は近日点に近づくためより早く移動することになり、夏になると遠日点に近づくためよりゆっくりと移動する。ただでさえ動く距離が短いところに速く動くものだから冬の方が日数が少なくなり、逆に動く距離が長くてゆっくり動く夏は日数が多くなることになる。こうした理由で、質問の答えは「春分~夏至の方が長い」ということになる。

ちなみに、太陽に近づくとき地球は北半球の面を太陽に向けているため(北回帰線のあたりが正面になる)、北半球の冬は比較的暖かく、太陽から遠ざかるときには南半球の面を向けているため、北半球の夏は比較的涼しい。逆に南半球は、夏はより暑く冬はより寒いということになる。

この「惑星は太陽に近づくと、より速く動く」法則を発見したケプラーであるが、その観測結果の多くはお師匠さんであるティコ・ブラーエのものであり、その点ではうまいことをやったといえなくもない。

地動説(地球が太陽の周りを回っている)を理論的に確立したのはコペルニクスであるが(だから画期的なことを”コペルニクス的転回”と今でも言う)、ティコ・ブラーエは「他の星はすべて太陽の周りを回っていて、その太陽が地球の周りを回っている」という地動説まであと一歩という理論に達しており、その意味でも惜しいんだけどなーという人である。

p.s.えーと、申し上げにくいのですが、現在マカオ遠征しておりまして次の更新はおそらく木曜日となります。よろしくお願いします。

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2008/02/25

「春分~夏至」と「秋分~冬至」どちらが長い?

月曜夜7時のフジテレビで「ネプリーグ」という番組がある。この番組は結構おもしろい問題が出されるので、頭の血管の通りをよくするのにいいのではないかと思ってよく見ている(とはいっても、さすがに番組の途中でないと家に着かない)のだが、先週かなり興味深い問題が出た。

それは、「どちらが長い?”春分~夏至”と”秋分~冬至”」というもので、約5秒で答えを出さなければならない。一瞬引っかけ問題かと思ったものの、どうやら普通の問題である。一緒に見ていた家の奥さんは、「夏の方が日が長いんだから”春分~夏至”に決まってるじゃん」と全く間違った理由で正解を出したのだが、私は時間内に答えが出せなかった。くやしいので、ちゃんと調べてみた。

カレンダー的には、春分が大体3月21日、秋分が9月23日(ずれることもある)。ここですでに2日分、夏の方が多い。加えて、夏は大の月(31日)が多く、冬は2月が28~29日しかないので、さらに3~4日分ずれが生じる。だから夏の日数の方が1週間前後多くなるが、これは結果であって理由ではない。

まず春分や冬至は何かということであるが、これは太陽と地球との位置関係により決まってくる。暦ができた頃はまだ天動説の時代であり、また北半球で文明が発生したので、太陽が最も北から昇る日(最も昼の長い日)を夏至、最も南から昇る日(最も昼の短い日)を冬至、真東から昇る日(昼と夜の長さが等しい日)を春分・秋分とそれぞれ定めたのである。

これを地動説の見方から説明すると、コンパスで円を書いたときその中心が太陽、円周を地球の軌道とすると、中心(太陽)を通って上から下、左から右に直線を引いて円を4等分し、直線と円が交わったところにそれぞれ春分・夏至・秋分・冬至という名前をつけたということになる。

ここまでの話だと、春分から夏至も、秋分から冬至も円周の1/4の長さであり長短はないということになるのだが、実際には地球が太陽を回る軌道は円ではなく楕円である。楕円には2つの中心(焦点という)があり、その1つが太陽である。ということは、太陽に近くなるときと、太陽から遠くなるときがある訳で、遠くなるときの方が地球が長い距離を動かなければならないので、遠ざかる時期の方が日数が多くなる。

そして、地球が太陽に最も近くなる日(近日点)は、今年の場合1月3日(これもずれることがある)。つまり、冬の方が地球が動く距離が短いので、”秋分~冬至”の方が短くなる。逆に”春分~夏至”の方が長くなることになるが、まだこれは理由の半分なのであった。長くなったので、続きはまた明日。

p.s.えーと、申し上げにくいのですが、ただいまマカオに遠征中(のはず)ですcatface。コメントのお返事は水曜日以降になります。すみません。

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2008/02/22

魏志倭人伝(15) ~常識で考える日本古代史32

2.4 3世紀における倭の風俗(続き)

前回のあらすじ
魏志倭人伝の第二部にあたる倭の風俗に関する部分で次に注目したいのは、倭人が酒好きと書かれていることである。弥生人を含む新モンゴロイドは、世界中の人種の中でほとんど唯一、アセトアルデヒド分解酵素を持たない人がいる。

弥生人(新モンゴロイド)が縄文人(古モンゴロイド)と違う特徴を持っているのは寒冷地対応とされている。例えば、目や耳たぶが小さいのは冷たい外気に触れないため、体毛が薄いのは発汗により体毛が凍りつくことを防ぐためと考えられている。

冷たい空気や体毛の凍結がなぜ寒冷地において具合が悪いのかというと、それは体を冷やすことにより風邪などの病気にかかりやすくなるからと考えていいだろう。そしてアルコールの摂取ができなくなる体質(アセトアルデヒド分解酵素を持たない体質)も、同様に寒冷地における対応として発達してきたらしいのである。

酒を飲んで酔っ払い寒いところで寝たまま凍死してしまう人は、現代でもいないわけではない。死ぬことはなくても寒いところで飲みすぎれば、風邪をひきやすくなるだろう。また酒を飲むと体が温まり汗をかきやすくなるが、この汗を乾かさないままでいると防寒上望ましくない。登山で肌着素材として用いられるダクロンという繊維は、汗を吸い取りすぐに乾かすことで皮膚との間に空気の層を作り、体が冷えることを防ぐのである。

話が長くなったが、そういう事情で弥生人(新モンゴロイド)には酒を飲めない体質の人がいるらしいのだが、その比率はどのくらいであろうか。2000年に筑波大学の原田勝二助教授がALDH(アセトアルデヒド分解酵素)を持つ人の割合を全国で調査したところによれば、おもしろい結果が出ている。

1位 秋田、2位 岩手、3位 鹿児島、4位 福岡、5位 栃木、
・・・・・・43位和歌山 44位岐阜 45位石川 46位愛知 47位三重。

1位の秋田は先に述べたGGタイプ(両親からALDHを受け継いでいる)が8割近いのに対し、三重県では約4割にとどまる。またこの中には現われていないが、北海道・沖縄はもちろん上位10位以内だし、大阪、奈良は下位10位以内である。前回の繰り返しになるが、GGタイプは酒飲み、AGタイプは付き合い程度、AAタイプは酒が飲めない。つまりこの順位は、酒好きの順位でもある。

古事記によれば、大和朝廷は九州から進出して畿内に入り、神武天皇が奈良県で支配を固めたことになっている。そして、その動きと呼応するように、縄文人(古モンゴロイド)の遺伝子を濃く持っている人は北海道・東北・九州・沖縄に多く、弥生人(新モンゴロイド)は中部・近畿・中四国に多い

そして、魏志倭人伝の時代から1800年経った現代においても、縄文人の血を引く地域と弥生人の血を引く地域では、酒飲みの割合がこれだけ大きく異なる。1800年といえばおよそ70~80世代になるだろうか。これだけの世代で通婚(混血)が起こってもなお差があるということは、古代において酒を飲めない弥生人(AAタイプ)は相当の割合であったに違いないし、飲めたとしても付き合い程度(AGタイプ)が多かったと思われる。

だから、もし邪馬台国が近畿にありその後の大和朝廷につながっているとすれば、その多くは弥生人(新モンゴロイド)だったはずであり、みんなが酒好き(人性嗜酒)ということは考えにくいのである。(この項続く)

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2008/02/21

IBF・WBO世界ヘビー級統一戦展望

IBF・WBO世界ヘビー級タイトルマッチ(2/23、米NYマジソンスクエア・ガーデン)
IBF王者 ウラディミール・クリチコ(ウクライナ・49勝44KO3敗) -500
WBO王者 スルタン・イブラギモフ(ロシア・22勝17KO1分け) +350

米国ボクシングの殿堂であるMSGで、ボクシングの世界一を決める統一ヘビー級タイトルマッチが行われるのに、戦うのはともに旧ソ連圏というのは時代の流れで仕方ないか。まあクリチコ兄弟は米国でも何度も試合をしてきているので、準ホームグラウンドといえなくもない。

2000年10月にWBOチャンピオンとなって以来、世界のトップ戦線に君臨し続けるウラディミールだが、2003年にコーリー・サンダース、2004年にレイモン・ブリュースターにそれぞれ言い訳のできないKO負けを喫しそのつど評価を落としてきた。それ以降は安定した戦い振りであり、前回の防衛戦ではそのブリュースターを6回KOに下して敵を討ったところである。

かたやイブラギモフ。昨年6月にシャノン・ブリッグスを破ってWBO王者となり、10月には老雄ホリフィールドに勝って初防衛。しかし、2試合ともダウンを奪うことはできず、判定勝ち。本当なら楽勝しなければならない試合をてこずったという印象である。唯一の引分けは2006年7月のレイ・オースティン戦だが、オースティンは次の試合でウラディミールに2回KO負けしている。

ともにオリンピックのメダリスト(ウラディミールはアトランタ金、イブラギモフはシドニー銀)であるが、イブラギモフがいまだにアマチュア的なきれいなボクシングをするのに対し、ウラディミールは何度かの挫折を機にプロ向きのハードパンチャーに変身してきた。体格的にも差があり(身長で202cm対186cm)、ウラディミールの優位は動かない。

イブラギモフはヘビー級には珍しいサウスポーで、まともにパンチを食わないのが強みだが、同じサウスポーのクリス・バードを2度とも問題にしなかったウラディミールだけにそれも通用しそうにない。あとはサンダース戦やブリュースター第一戦のように勝手にあわてて自滅することさえなければ、ウラディミールのKO勝ちは固いはず。

なお、この試合は来週火曜日のWOWOWでタイムリー・オン・エア中継される。

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2008/02/20

初防衛失敗 ~ポーカーの奥深い世界57(続き)

前回も2000点を割り込んでショートスタックとなってしまったが、今回はさらに状況が悪い。すでにラウンドが進んでしまっているのである。またもやブラインドが上がってアンティ50の300-600、ということは次にブラインドが回るとほぼ自然死となってしまう。

幸いにボタンを終わったばかりだから、あと何人かいる。しかし、引続き手は来ない。先月はJ3oでオールインしたが、この日は絵札さえ来ないのである。そして、間の悪いことに上家のしださんがテーブルバランスで移動となり、UTGの予定がBBとなる。ここもレイズが入ってハンドを見ると94oとても無理である。

アンティ50点とSB300点を払うと、手許に残ったのは1000点チップ1枚と25点が2枚である。ハンドは82oさらに悪い。しかし、なぜか誰も参加せずにボタンまで来て、ボタンも600点だけ置いてコール。一瞬おいて、「オールイン」である。レイズがいないここはおそらく最後のチャンスである。そしてここでコールしても750点しか残らないので、フロップ後のベットにも迫力がない。下りてくれる可能性が0ではない以上(下りてくれるとは思わないが)、全部入れるしかない。

BB、ボタンともにコール。アクティブプレーヤーが2名いるので、手は開けない。フロップでJとが出た。ターン、リバーともスモールカードである。Jを持たれていない限り勝てるかもしれない。「8ヒット」と手を開くと、「その手でオールイン?」と言われてしまう。あとの二人はA持ちで、辛くも逃げ切ってトリプルアップである。

しかし、良かったのはここまで。残り3テーブルまでがんばってはみたもののハンドは来ず、最後は残り約4000点を44のポケットペアでオールイン。H氏にKJで受けられ、ボード89T7Qご丁寧にも7からKまでのストレートを作られてのゲームセット。私が飛んで2テーブルになったので、おそらく19位だったのではないかと思う。

1月のJ3oに続き82oという究極のオールインをしてしまい、もう怖いものはなくなったのが最大の収穫である。でも結局のところ、この夜の3時間弱のプレーで、上位10%ハンドはスチールのJJとオールインコールのATsの2手のみ。120ハンド配られたとして、この確率は0.03%。これで残れたらかえっておかしいくらいである。

そして、2月に出たホールデムのトーナメントがこれで5回目、延べプレイ時間は16時間余となるのだけれど、とうとうAAが来なかった。「AAの来ない2月・・・そういえば皇帝のいない八月という映画があったなあ(1978松竹・主演は渡瀬恒彦)」と帰りの電車でふと思ったりした。・・・3月も続いたらどうしよう。

p.s.ポーカーの奥深い世界のバックナンバーはこちら

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2008/02/19

亀田大毅がけっぷち

ポーカーの続きの原稿を用意していたが、週明けに大きなニュースが飛び込んできた。昨日のJBC(日本ボクシングコミッション)理事会で、亀田大毅の追加処分について協議されたのである。

ことの発端は亀田大毅が先月27日に起こした自動車の追突事故。物損事故で処理され刑事的な問題はないが、ボクシング界においては現役ボクサーが車を運転しないというのが不文律なのである。

これはかつて世界フライ級チャンピオンであった大場政夫が首都高速で事故死したことが大きく影響している。そして、頭部に多くの打撃を受けるボクサーが運転をすることは相当に危険であるという認識も背景にある。

加えて、大毅は内藤戦の狼藉により1年間のライセンス停止中である。ライセンスを停止されたということはルール違反があった訳で、現役を続ける意思があるとすれば停止期間中の立場として「謹慎」以外にはありえない。身を深く慎み、反省しなければならないはずである。

しかしこの男にそういう良識は通用しない。本来なら亀田道場を出て協栄ジムでトレーニングしなければならないにもかかわらずそれをせず、先日はセコンド禁止となったはずの親父と一緒に茨城・霞ヶ浦高校のレスリング部で練習を見学、その場で「もちろん車はまだ運転しとる」「車はぶつけてなんぼのもんや」などと放言したのである。

さすがの金平会長も苦情殺到に対し素早く動いた。大毅が協栄ジムへの練習にほとんど来ていないこともあり、今後の事態によっては解雇もありうるという判断をJBCに示した模様である。協栄ジムが解雇した場合、日本のジム制度の慣習からして他のジムが大毅と契約することは考えにくく、ジム解雇→日本リング追放となる可能性が非常に大きい。

そしてこの日の理事会では、大毅追放まで一気に進む可能性もあった。そうならなかったのは、どうやらTBSの暗躍があったらしいのである。そもそも、霞ヶ浦高校のニュースを流したのが2月13日のスポニチということだから、今回の伏線と考えるべきだろう。スポニチは毎日系、TBSも毎日系。TBSといえば亀田親子と一蓮托生の間柄である。

TBSは「協栄か亀田かと言われたら、亀田を取る」ということだったらしい。だから、もし大毅が追放されたら、兄貴も親父も連れて亀田道場をメキシコに移し、日本のジムに所属せずにボクサー生活を続けさせることを考えていたようなのである。これは、かつて日本のジムをクビになった西島洋介山と同じ道だが、テレビ局がついている分、可能性はあるかもしれない。なにしろ、外国に行けばIBFにもWBOにも挑戦できるのである。

昨日の段階ではそこまで話が進まなかったため、今後態度が改まればこれまでどおりという結論になったようだが、おそらく近いうちにそういう動きは出てくるだろう。つまり、亀父とTBSの思惑は「永久亀田場所」構想なのである。ただ私の予想を言わせてもらえば「去る者は日々に疎(うと)し」である。大毅のことなど、みんないつまでも覚えているはずがないのであった。

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2008/02/18

初防衛失敗 ~ポーカーの奥深い世界57

2月16日土曜日はストラドル杯。前回2月2日の大会で初優勝を果たしたため、今回の大会は初防衛戦というか、「賞金首」である。私のバウンティには特製マウスパッドの賞品がつくのであった。

この日の前半、スト杯ミニのラズでは、普段鬼のように入るはずのバカラハンド(45、36、27、A8)が全く入らない。看板がエースだとホールカードはQQとかKJとか、ゲームを間違えているのではないかというハンドが続く。やっと来たA3でベットしていったら表にもAと3が出てツーペアになる始末、最後は続けざまにブリングインとなってゲームセットとなった。まあ、後半のスト杯メインで手が来ればいいやと思ったのだが、この考えは少々甘かった。

今回も5テーブル満席である。なんといっても初防衛戦であり、無様なゲームはできないと気合を入れる。そして今回設定したテーマは、上位10%ハンドが来た時のオフェンスとディフェンスだったのだが、そんなことを考える余地もなかった。とにかく、全くハンドが来なかったのである。

来ない時の常で、上位10%どころかコネクトもスーテッドもほとんど来ない。その結果下りてばかりいるのでチップはそうそう減らない。5テーブルがブレークするまでの2時間弱で、獲得したポットはわずか4回。そのうち上位10%ハンドだったのはJJスチールの1回だけ。あとは全部ポジションがよかったので参加したら、たまたま当たってくれただけという状況であった。

アンティ25の200-400のBBを払ったところでテーブルブレイク、そして移動した先で再びBBになってしまい、ここの3ハンドで1075点減らして手元に残ったチップは3500点くらい。そして次のボタンで、本日2度目の上位10%ハンドが入る。ATダイヤのスーテッドである。そしてショートスタックのUTGが1350点のオールイン。

ばたばたと下りて私の番。ブラインドとポットで800点、オールインが1350点。正直なところ、あまり参加したくはないシチュエーションである。とはいっても、この調子ではあと2周待ってもAT以上の手が入る可能性は低い(実際、来なかった)。オッズが合うのは相手が99以下のペア、あるいはAと9以下の組み合わせとか絵札2枚の場合だが、逆にTT以上のペアやAK、AQ、AJなら合わない。

まあ、負けても半分は残るしと思ってコール。もしSB、BBからレイズが入ってもコールするつもりである。SB、BBはフォールドでこのままヘッズアップとなり、UTGが開いたカードはJJ。これではAが落ちるかダイヤがフラッシュにならなければ勝てない。「あっさりエース!」と呼び込むが、H坊ではないので当然出ない。そのまま何も起きずにJJの勝ちで終わり、逆にこちらが約2000点とショートスタックに突入してしまった。(この項続く)

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2008/02/13

魏志倭人伝(14) ~常識で考える日本古代史31

2.4 3世紀における倭の風俗(続き)

前回のあらすじ
魏志倭人伝の第二部、倭の風俗に関する部分で、最初に出てくる記事は「倭人のいれずみ」に関するものである。いれずみの風習が近世まで残っていたのは、日本の南方と北方、つまり縄文人の風習ではないか。

縄文人と弥生人とは、日本人の成り立ちについての仮説の中で最も有力な説である、古モンゴロイドと新モンゴロイドのことである。

人類の歴史の中で最初に日本列島に定住したのは、主に南アジアから南西諸島を経由して北上してきた古モンゴロイドであり、その時期は2万年前くらいからではないかといわれている。最も早い縄文文化の遺物(土器破片)が1万数千年前、その前に先土器文化があったとされ、これらの文化の担い手は彼ら古モンゴロイドであることから、縄文人ともいわれる。

一方で、縄文時代後半から弥生時代にかけて、新モンゴロイドが朝鮮半島を経由して日本列島に入ってきたといわれている。最初に書いたように、魏志倭人伝における「倭国大乱」とはこの民族流入を指すと考えているが、その結果として鉄・青銅製品や稲作農業、織物の技術などが日本列島に定着することとなった。この新モンゴロイドを弥生人と呼ぶ。

弥生人はもともと寒いモンゴルなど北アジア方面に住んでいた民族なので、寒冷地に対応した特徴を持っている。縄文人が毛深く、耳たぶが大きく、彫りが深く、二重まぶたで目が大きいのに対し、弥生人は体毛が少なく、耳たぶが小さく、彫りが浅く、一重まぶたで目が小さい。現代の日本人の多くはそれらの特徴を併せ持っていることから、縄文人と弥生人が約二千年の間に混血して現代人になったとみられている。

さて、魏志倭人伝に戻って、この点で注目すべきは次の一節である。

人性嗜酒。
倭の人々は酒が好きである。

またこうも書かれている。魏の使いが古代日本に来て、「こいつら、よく飲むなあ」とあきれた様子が目に浮かぶような記事である。

始死停喪十余日、当時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。
人が亡くなるとおよそ十日間喪に服し、その間肉を食べない。喪主は泣き、他人は歌い踊りまた酒を飲む。

さて、現代人でも酒大好きという人はいるし、そんなには飲めないがつきあい程度には飲めるという人が多い。その一方で、まったく飲めないという人もいないわけではない。この「飲めるか飲めないか」は、アルコールを分解するための酵素を持っているかどうかによって決まり、その有無はもっぱら遺伝的要因により決まる。

体内に摂取されたアルコール(エチルアルコール)は胃や小腸から吸収されて肝臓で分解されアセトアルデヒドになる。アセトアルデヒドはさらに分解されて酢酸になり、さらに二酸化炭素と水になって体内から排出される。このうちアセトアルデヒドが悪酔いの原因となり、これを分解して酢酸(酢である)にできなければずっと悪酔いしつづけることになる。

この働き、つまりアセトアルデヒドを分解して酢酸にする働きを担っているのが、ALDH、アセトアルデヒド脱水素酵素である。このALDHを両親それぞれから受け継いでいる人がGGタイプであり、このタイプは酒が強い。両親のいずれか一方から受け継いでいるのがAGタイプで、このタイプはつきあい程度には飲める。そして両親いずれからも受け継いでいないのがAAタイプで、このタイプは酒が飲めない。

そして、基本的に世界中の人種はGGタイプなのだが、ほとんど唯一例外的にAG、AAタイプがいるのがモンゴロイドなのである。(この項続く)

p.s.「常識で考える日本古代史」のバックナンバーはこちら

p.s.その2 明日・明後日は出張のため、お休みします。

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2008/02/12

南房総・館山

連休の中日は奥さんのリクエストで南房総・館山へ。

家から館山までは100km余りある。館山から伊豆大島までは50kmくらいしかないから、そちらの方がずいぶん近い。逆に家から100km北は宇都宮あたりになってしまうので、同じ千葉県とはいってもかなり離れている。その分気候も違って、館山あたりはかなり暖かい。だからこの季節でも野外で花摘み(ポピーとか)ができるのである。

朝ご飯を食べずに出て、9時過ぎに内房に着く。朝昼兼の食事を新鮮な魚でという企画である。最近全線開通した高速館山道を下りて一般道へ。マスコミ等で有名なBという店に行ったのだが、ここがひどかった。

店に入るなり150人位入る別棟に通されて、「○○番テーブルにお座りくださーい」と指定される。注文しようとすると、「順番にうかがいまーす」と言ったっきり、15分たっても20分たってもオーダーを取りに来ない。その間にも次々に人が入ってきて、その別棟は一杯になってしまったが、まだ相席で押し込む。

これでオーダーの順番が分かるのかなと見ていたら、結局部屋を全部一杯にしてから席順に聞いているので、長く待っていた人もいま来た人も関係なしである。そのうえオーダーの受け答えを聞いていると、「煮物は30分かかりますが、どうしますか?」とか言っている。30分待ってまだオーダーもできてないのに、この先も待たされたらたまらないのでこの店はやめにした。

いい方の店はここから10分ほど北に戻った漁師料理「かなや」。入ると東京湾が一望できるすごい景色である。テーブルも椅子もきれいでちゃんとメニューが置いてあり、食事処らしく禁煙、しかも従業員の態度もとてもいい。お刺身の定食と大アナゴの天ぷらを頼んだら、ほどなく新鮮なお刺身と揚げたての天ぷらが到着した。冷たいものは冷たく温かいものは温かく、まさにあるべき姿の海の幸を堪能したのでありました。

館山市内に入り、まず千葉県立安房(あわ)博物館へ。ここは、例の「さかなくん」が客員研究員となっている博物館で、漁業に関する展示や資料がたくさんある。また、千葉に何校かある水産高校(残念なことに、今年度で統廃合されることになってしまったが)の実習施設でもあり、房総の漁業の歴史と「鮑(あわび)」について勉強する。

さらに海岸沿いに野島崎までドライブし、太平洋を見てからアジやイワシの干物をいっぱい買う。それからイチゴ狩りに行って採りたてのジューシーなイチゴを思う存分食べてビタミンCを補給していたら、夕方になってしまった。

ぽかぽかととっても暖かな一日でした。

Tateyama1_ ここはサイパンではありません。館山です。(車の中からなので少し反射してすみません)

Tateyama2_ 「かなや」のお刺身定食と大アナゴの天ぷら。おいしいです。

Tateyama6_ イチゴ食べ放題。おいしさをお伝えできないのが残念です。

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2008/02/08

魏志倭人伝(13)  ~常識で考える日本古代史30

2.4 3世紀における倭の風俗

さて、魏志倭人伝は邪馬台国がどこかということにのみ関心が集まっている傾向がみられるが、ここに書かれている3世紀半ばの倭の風俗も興味深いものがある。

2.2(.4)で述べたように、魏志倭人伝は大きく3つの部分に分かれていて、第一部が邪馬台国の地勢、第二部が邪馬台国の風俗、第三部が邪馬台国をめぐる事件となっている。第二部の風俗について考えることで、第一部の議論(邪馬台国=九州北部説)を補足できる部分もあるのではないかと思う。

さて、第二部の冒頭を飾っているのは、次の記事である。

男子無大小皆黥面文身
男は身分の上下なく皆が顔・体にいれずみをしている。

以下、この風俗(いれずみ)は会稽(かいけい:揚子江下流)に住む人々と同じであり、そして倭は会稽のちょうど東に位置すると続く。そして、なぜいれずみをするのかというと、このように言っている。

倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽
倭の漁師は海に潜って魚や貝を捕らえるため、いれずみは危険な魚を避けるためのまじないである。

ここで二つの点に気づく。まず第一にいれずみという習慣があったということ、第二に倭の代表的な産業は漁業であること、である。この2点が魏の使節にとって非常に印象深かったからこそ、この記事が一番最初に書かれていると考えられる。

いれずみという習慣について、近現代の日本では必ずしも一般的ではないが(特に顔)、北海道のアイヌ女性や沖縄地方の女性の一部に、明治時代に入るまで成人女性の証として顔にいれずみが行われていたことは事実である。

逆に、中国文化圏や日本書紀にみられる古代の近畿地方にはこうした習慣はみられず、逆に懲罰のためにいれずみをしたと書かれている(履中天皇紀、他)。つまり、いれずみというのは、日本にもともと住んでいた縄文人の習慣であって、後に日本に入ってきた弥生人にはその習慣はないということである。(この項続く)

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2008/02/07

WBO世界ウェルター級タイトルマッチ展望

先週、フィリピン・セブのウォーターフロント・ホテルでかなり注目される軽量級のビッグマッチがあった。IBFスーパーフライ級の挑戦者決定戦で、地元フィリピンのホープ、Z・ゴーレスと、前IBFフライ級王者のビック・ダルチニアンの試合である。

一種、ナジーム・ハメド的なところがあるハードパンチャーのダルチニアンなので、クラスを上げてどうなのか興味深かったが、観客席から何か投げ込まれたりしてひどく荒れた試合の結果、判定は3者3様の引分けだったということである。

現在、フライ級、バンタム級には、ダルチニアンの後継王者であるドネアーを除いてそれほど強いチャンピオンはいないが、スーパーフライ級は多士済々で非常に層が厚い。日本でおなじみのクリスチャン・ミハレス(WBCスーパーフライ)も今度ラスベガスで試合をするようだし、世界的にもますます注目を集めそうだ。

WBO世界ウェルター級タイトルマッチ(2/9、米カリフォルニア)
○チャンピオン ポール・ウィリアムス(米、33戦全勝24KO) -675(1.12倍)
   挑戦者 カルロス・キンタナ(プエルトリコ、24勝19KO1敗) +425(5.25倍)

さて、現在最も面白いクラスといえば、ウェルター級である。WBAミゲール・コット、WBCフロイド・メイウェザー、WBOウィリアムスの3チャンピオンが無敗であり、IBFのシントロンも1敗。チャンピオン以外にもアントニオ・マルガリト、シェーン・モズリー、オスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットン、ザブ・ジュダーらがいて、誰が誰と戦ってもビッグマッチになりそうだ。

すでに、4月にシントロンvsマルガリトが決まっていて、この勝者がコットと戦う予定。メイウェザーは名前があってリスクの小さいデラホーヤとの再戦コース。そしてウィリアムスは今回の防衛戦からスタートする。客観的にみて、マルガリトを破ったウィリアムスがこのクラスでは一番強いはずである。

とにかく身長が183cm、リーチが2mを超える体格は、ミドル級からライトヘビー級に上げたバーナード・ホプキンスに匹敵する。マルガリトには後半追い上げられたが前半戦は全く寄せ付けない動きを示しており、打ち合いにもそこそこの適応力を示した。あとは実力差のある相手にきっちりとした結果を残せるかどうか。

今回の防衛戦の相手キンタナは(ちょっとアブナい名前だが)、2006年ミゲール・コットに挑戦、5回終了でギブアップしている。長身のサウスポーであるという点ではチャンピオンと同様であるが、コット戦で耐久力のなさを示してしまった上、サイズではチャンピオンに劣る。ウィリアムスはこの試合で存在感を示し、次の時代のスーパースターへの道を進んでほしいものである。

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2008/02/06

ストラドル杯優勝! ~ポーカーの奥深い世界56(完結編)

ファイナルテーブルの9人に残った。これで今年に入って3週連続である。チップは30000点と少し。右の席になったRさんが40000点くらい、対面のBさんは1000点ではなく5000点チップがタワーになっており、おそらく15万点近くあるのではないかと思われた。あとの6名はそのあおりを受けて1~2万点未満である。

アンティ400で、1500-3000。1周回ると8000点飛んで行くのでゆっくり構えてはいられない。右のRさんがリンプイン、ハンドはAQs、微妙である。ひとまずコール。後ろのアクションのBさんがメイク40000点くらいのレイズ。オールイン要求である。ショートスタックのBB(BBさんではない)がコール、Rさんは下り、私も下りた。現状3位で9着エンドは悲しいし、1周待てば私よりきつい人が何人か飛び込むはずだからである。

実際、1周待つ間に2人がゲームオーバーになる。そして、Bさんはほとんどすべてのハンドオールイン要求で、ショートスタックと取ったり取られたりしている。このまま待っていては、こちらはチップを減らす一方で、勝負を賭けた人に追いつかれるのは目に見えている。そして再びBさんはレイズたくさん。こちらが手を開くとQQ。この日のベストハンドなのだが、前回はJJにセットを作られて大打撃を受けている。とはいえ、もうこれ以上待ってもこの日はAAもKKも来そうにない。「オールイン!」

Bさんから出てきたのはKJだっただろうか絵札が2枚、しかしペアではない。Kさえ出なければ勝ちというところで、見事に逃げ切りダブルアップ、チップを増やして抜け出した2番手となった。その数ハンド後、今度はATクラブのスーツ。やはりレイズで入っていたBさんにリレイズすると、コール。相手はと何か、クラブのスーツである。よし、フラッシュでの負けはない。

「あっさりエース!」と気合を入れたら、フロップでいきなりが出た。そしてそのまま逃げ切り、2ハンドでBさんを逆転、今度は私が12万点以上持ってチップリーダーになったのである(実は数え切れないくらいチップが来てしまい、しばらく正確な自分の持ちチップが分からなかった)。

いくらチップを持っているとはいえ、慣れない金持ちプレイなどしたら墓穴を掘ることになる。一番優勝できる可能性がありそうなのは、とにかくチップ優位のままヘッズアップに持っていって、オールインの一撃に賭けることである。できればチップ量の3/4を押さえてしまえれば2回のうち1回勝てばいいことになるが、そうはうまくはいかないだろう。

実際、ファイナルテーブルに残ったとき2番目にチップを持っていたRさんとのヘッズアップになったのだが、チップ量は2:1。最初のオールイン対決に負けたとしてももう一度チャンスはあるが、立場が逆になってこちらがショートスタックになる。しばらくはぶつからないが、Rさんは2度オールインをかけてきている。確率的に、上位10%ハンドではなさそうだ。

次のRさんのオールインで手を見ると、Kc2sである。相手がAとローカードなら、不利ではあるが致命的という訳ではない(例えばA9vsK2なら、勝率は65%:35%)。まかり間違ってQJとかJTとかだったら、むしろこちらが有利だ。いつまでも下りていたらいつかは追いつかれる。一度は受けてみるべきだろうと「コール」、ところが出てきたのはAcKsである。うわ、なんでよりによって今回はマジ手なんだ。

フラッシュでの勝ち目もないため、勝率では21%:78%と、圧倒的に不利である。だが、中盤のA5に続いてここでもupsetが起きる。なんとフロップは2h5d8cが落ちたのである。この段階で、勝率は逆転して84%:16%。あと2枚のうちにAが落ちるか、58Kの組合せで2のペアが死んでしまうことがない限り、優勝である。

ターン7h、リバー6h。ハートのフラッシュや9ハイ、8ハイストレート、上目のペアなどいくらでも強い手はあるのに、2のワンペアの勝ちである。そもそも読みどおりなら、A2をはじめA4からA9まですべて負けているのだから、ポーカーは何が起こるか分からない。

Rさんと、応援してくれた3位のべいさん、ミニトーで残っていたドレちゃんと固く握手し、喜びを分かち合う。今年初勝利が、ストラドル杯メインの初優勝である。そして、今年はヘッズアップ1戦1勝である。いつも帰りの電車はヘッドフォンでiPODを聞きながら落ち込んだ気分をまぎらわすのだが、この日は1日の展開を振り返ってうれしい反省会で、あっという間の帰路であった。

この日の勝因を分析してみると、おそらくかなり大きかったのは、Bさんが半分以上のチップを集めてしまい、その中に私が苦手とする人が相当数含まれていただろうということと、逆に私のテーブルはおとなしいテーブルで、苦しい時期に比較的落ち着いた展開に恵まれたということ、そしてジョシュことShadowさんが、満員御礼のため参加できなかったことなどがあげられるだろう。

ところで、私の優勝によほど驚いたらしく、翌朝起きたら雪が積もっており、JRAの府中開催は中止になってしまった。

p.s.ポーカーの奥深い世界のバックナンバーはこちら

Yushou_board 記念すべきスト杯初優勝のボード。

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2008/02/05

ストラドル杯 ~ポーカーの奥深い世界56(続き)

その後1回ポットを獲得して2000点まで戻しはしたものの、5000点が原点だからショートスタックもいいところである。ここは一発オールインでダブルアップしなければ、このままではどうにも戦いようがない。しばらく待つと、JJが来る。オールインすると、Ⅰさんがコール。やはり先ほどのビッグポットを逃しショートスタックのⅠさん、考えることが一緒である。

しかし出てきたのは99で、なんとか確率どおり逃げ切る(プリフロップの勝率は81%:19%)。これでチップは4000点に戻り、そんなにあせらなくてすむようになった。できればこの日(2月2日)、22オールインを宣言しているせりかっちや、久々にお会いしたしおなっぱ夫妻(kopa&なっち)やドレちゃんと同じテーブルになるまで粘りたいなあと思った。

そんなことを考えていたら、レイトポジションで22が来た。さすがにオールインはできないが、とりあえずレイズで入ったら、BBがコール。フロップAK2。BBはAヒットだったので、ベット500、1000をコールしてもらえて、7000点まで増やす。しかしこの日初めての原点オーバーで安心したのが良くなかったのか、その後ばったり手が来なくなった。さらにアンティが始まり、飛ぶ人が増えてテーブル整理となり、チップ持ちが集まってきた。逆に手持ちのチップは5000点に近づく。

前にも書いたように、今年は2周以上待たないことに決めている。そして、5000点の原点でがまんできるのは、現在の私の力ではアンティ50のブラインド300-600までである。だから、すでにそのブラインドになっていて、ミドルポジションで前が全員下りて、ハンドがA5sなら行くしかないのだが、SBのBBさんが重々しく「コール」を告げた。そして出てきたのはAK、これでは勝率25%なのである。

実はこの1週間前のトーナメントであるJUMPSで、私が最後飛んだのはA5オールインで、その時の相手もAKでBBさんなのであった。まさにDeja Vuというやつである。2週続けて、「5!5お願い」と叫ぶことになるとは思わなかったが、確率25%でも2回続ければ44%になる(1-0.75×0.75)。そしてなぜかフロップに5が出て、ここを勝ち残ってしまったのである。BBさんには申し訳なかったが、75%をいつも勝てない私なので、大目に見ていただくことにしよう。

ここでチップは10000点を超え、しばらくして気がつくとテーブルのチップリになっていた。この間、特に大きく動くことはなかったのだが、ショートスタックの人がオールインするとなぜかトップペアを持っていたり、フラッシュになったりしたのでやっぱりツイていたということだろう。それと、なぜかべいさんがBBの時にAQとかTTとか入って、スチールさせていただいたことを覚えている。いつも自分のBBが狙われるような気がするのだが、きっとこれもめぐり合わせなのである。

しかし、50人が5000点でスタートしたのだから総チップ量は25万点なければならないのに、残り2テーブルでこちらのテーブルのチップ量はどう数えても7、8万点にしかならない。だから2、3万点でテーブル・チップリなのだが、そうするとファイナルテーブルになった時につらいことになる。そして、隣のテーブルではBさんが一人で総チップ量の半分近くを集めていたのであった。(この項続く)

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2008/02/04

ストラドル杯 ~ポーカーの奥深い世界56

ストラドル杯(スト杯)は、由緒ある大会である。

その最初の開催は前世紀のことになるというから、長い歴史と伝統を持つ大会ということになる。今でこそ毎日いろいろな場所でポーカートーナメントが開かれているが、当時はポーカー愛好者もそれほど多くはなく、定例的に開催されるトーナメントはストラドル杯がほとんど唯一のものだったということである。

だから、ストラドル杯を勝つというのは大変名誉あることとされる。私がポーカーをするようになったのは2004年9月のリゾカジ・ラスベガスオフからで、上野ルームに行くようになったのは翌年の夏頃からなのだが、当時のスト杯はそれこそ歴戦の猛者達の集まりで、キャリアの浅い私など、いいようにやられたものである。

そして、その対策として編み出したのが「玉砕オールイン作戦」なのだが(このあたりはこのシリーズのバックナンバーを見ていただければ)、そういうことをブログに書くと、「スト杯を勝てるようになってからにしたら」みたいなことを言われてかなり悔しい思いをした。でも懲りずにポーカーのことを書いていたら、いつのまにか56回目になってしまったから早いものである。

勝負は時の運で、いくら勝とうと思ってもそうそう勝てるものではない。確率的には、仮に40人の大会だとすると、40回参加したときの優勝回数の分布は「0回」「1回」「2回以上」でほぼ等しくなるはずである。今回が35回目の参加だから、まだ優勝がないからといって悲観するには及ばない。

とりあえず、今年1~3月の目標はスト杯ポイントの上位で争われるシーズン決勝への出場である。幸い、1月の2回の大会はいずれもファイナルテーブルに残ってポイントを積み上げている。今回が今年3回目、ここもとりあえずポイントを獲得したいところである。

この日も満員盛況で5テーブル。指定されたのは2番テーブルで、周りを見回すと、あまり対戦したことのない人が多い。最近はJPL(ジャパン・ポーカー・リーグ)からの参加者が多いと聞いているので、おそらくその方々だろう。知っているのはⅠさんと、最初バケーションだったRさん、Nさんくらい。序盤でスーパー・アグレッシブの人に巻き込まれるとつらいので、そういう人がいないことを祈る。

1ラウンド、25-50。回ってきた最初のBBで、いきなりQQである。4人コールで回ってきたので、300点レイズする。2人下りて、3人でフロップ。と、あとはばらばらの数札。500点ベットするが、二人ともついてくる。一人はⅠさん、もう一人はマスクをかけた女性である(以下、Mさんとお呼びする)。うーん、手が読めない。

まさかAA、KKでコールで入っているとは考えにくいし、仮にそうだとしてもリレイズして来そうなものである。「QQでしょ?」とか言ってるⅠさんはAKでなければスモールペア。AQ、AJならこちらの思う壺だ。しかしMさんは全く分からない。単にルーズコーラーであることを願うが、もしそうでなかった場合、変に動いて致命傷を受けるのは避けたい。

ターンはラグ。私がの300ベットに、Ⅰさんがレイズメイク600。Mさんコール、私もコール。この時点で、ブラインドは25-50だというのにポットは4000点を超えている。リバーもラグ、ここはチェックしたか端数をベットしたかよく覚えていない。全員コールで私はQQを見せる。「やっぱりね」とⅠさんはマックするが、Mさんの開いたのはJJ、セットである。

オールインしなくて良かったと少しは胸をなでおろしたものの、いきなり1500点以上のマイナスである。そして、この後怒涛のミスマッチが始まった。AQ、AJ、AT、ローカードのペアなどが次々と入ってくるので、コールで入ったり時にはレイズしたりするものの、全くボードとかみ合わない。トップペアで打ってもコールされ、後から大きなカードが出て先に大きく打たれる。チップはあっという間に1500点まで減ってしまった。しかし、まだ開始から30分しか経っていないのである。(この項続く)

p.s.ポーカーの奥深い世界のバックナンバーはこちら

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2008/02/01

魏志倭人伝(12) ~常識で考える日本古代史29

2.3 倭地とは(続き)

前回のあらすじ
魏志倭人伝の倭に関する記載、「周旋可五千余里(ひと周りするとおよそ350km)」「当在会稽,東治之東(会稽の東にある)」「女王国東渡海千余里,復有国,皆倭種(女王国を東に海を70km渡ると、また倭人の国がある)」等の記載からみて、中国にとって当時の倭地とは、九州の一部だったとみられる。

さて、その倭地であるが、当時の中国、魏にとって倭(日本)はどの程度のウェイトを占めるものであっただろうか。このことを考える上で、例えば人口がどれくらいあるかというのは一つの目安になる。機械設備のほとんどないこの時代、国力すなわちGDP(国内総生産)は人口に比例していると考えて、それほど大きく違ってはいないからである。

そして、魏志倭人伝の中で、邪馬台国に至る「里程」(距離)とともにきわめて具体的に示されているのが「戸数」である。繰り返しになるが、自女王国以北、其戸数道里可得略載(女王国より北について、その戸数と距離はおおよそ記載することができる)と書かれている。

戸数に、1戸あたりの人数を掛ければ人口になる。1戸当たりの人数を推定するのは難しいが、当時の住居は、われわれが縄文時代の住居として理解している竪穴式住居とそれほど違ってはいなかっただろうから、4ないし6人、間を取って5人ととりあえず考えておく。では、それぞれの国の戸数・人口はどのように記録されているだろうか。比較すると、面白いことがわかる。

対馬国 千余戸(約千世帯=5千人)
一大国  三千許家(約三千世帯