魏志倭人伝(19) ~常識で考える日本古代史36
2.5 倭人は何を食べていたか
前回のあらすじ
氷河期が終わった約1万年前、縄文人のもととなる人々は南方から日本列島に入ったものと考えられる。その頃の人々は狩猟・採集により得られた食料で暮らしていたが、それまでの熱帯とは異なり四季のある温帯においては、食料の乏しくなる冬のために保存食を確保しておく必要があった。
さて、ここで人々が食料をどのように調理していたかを考えてみたい。
主なカロリー源でありたんぱく源である魚や肉は、新鮮なものであれば生でそのまま、日が経っていれば焼いて食べたであろう。特に魚の場合は、熱を加えてしまうとビタミン類が失われてしまうので、体調を整える上でも生で食べることが望ましい。
一方で、保存したりあるいは他の物と交換する場合には、いまのように冷蔵庫や保冷車がないので、魚なら干物に、肉なら干し肉にしたものと考えられる。海の水と日差しがあれば干物や干し肉を作ることができるし、火の上に吊るしておけば燻製にすることもできる。いまでもそうやって簡単にベーコンを作ることができるが、塩だけでもかなりおいしい。
一方、その頃にはまだ金属器がないので、水を入れておくことのできる容器は、木を削って作るか、貝殻の大きなものを使うか、あるいは土器しかない。土器については、縄文式だけでなく弥生式土器、さらに後の時代の土師器(はじき)に至るまで、粘土を固めて比較的低い温度で焼かれており、表面処理もほとんどされていないのである。
現代の土鍋も土器の一種であるが、土鍋がなぜ金属鍋と同じように調理に使えるのかというと、窯(かま)に入れて高温で焼いていることにより耐久性があることと、釉(うわぐすり)を塗っていることにより、土の成分が溶け出してこないからである。そうした土器が日本で作られたのは、古墳時代の須恵器(すえき)以降と考えられている。
逆に言うと、縄文式土器を調理に使おうとすると、直火に当てれば割れやすいし、煮ているうちに土の成分が溶け出してきてしまうということである。もちろん、当時の人々は今ほど神経質ではない。現代でも、インドの人々はガンジス川の泥水(われわれからみると)で顔を洗ったり口をゆすいだりしているそうであり、土器に汲み置きした水を飲んだりするくらいのことは平気だったに違いない。
しかし、例えばいまのようなやり方でご飯を炊く場合、土が溶け出してしまえばご飯は土の味になってしまうので、そうやって食べてもあまりおいしそうでない。そして実際も、コメは蒸して食べていたらしい。例えば火のそばに水を入れた土器を置き、竹や草で編んだザルにコメを入れて蒸し、柔らかくなったところを食べたようなのである。
つまり、金属器が普及する以前には、生、焼く、蒸すの3つの調理が多かったのではないだろうか。もちろん、「茹でる」ことにより食べやすくなったり、保存がしやすくなるという効果があるので(例えば、卵・固い肉・ドングリの渋抜きなど)、そういう下ごしらえ的な調理はあったと思われるが、現代のスープやシチューを縄文式土器で作ることは難しかったと考えるのである。
こうした状況の中で、稲作がどのように広まり、そして日本の基幹産業となったのかというのが次の問題である。(この項続く)
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コメント
この縄文式土器を作るのに
そうとうな暇と高度な腕が必要なんでしょうね
一つ作ってみて下さい先生!
我が家に飾っておきたいです(*・◎・*)
投稿 びびり姫 | 2008/03/28 22:33
>> びびり姫さま
おはようございます。昨日は飲みすぎてしまいどうなることかと思いましたが、今朝は疲れも抜けて快調です。さて、
>この縄文式土器を作るのに
>そうとうな暇と高度な腕が必要なんでしょうね
縄文式と一口に言っても、最も早い時期のものは1万年以上前、最新のものは2000年くらい前ですから、創作年代によってかなり技術的水準が違うようです。
おそらく初期のものは、粘土をこねて形を作って焚き火に放り込んだ程度ですから、いまの時代、趣味の陶芸で作られているもの(電気窯を使用)よりかなり簡単に作られたものですので、私にも作れるような気がします。
とはいっても、私の場合「何もないところから火を起こせるか」という問題がありますし、現代ではほとんどの市街地で焚き火ができませんし、(といって、作れない言い訳にしたりして・・・)。ではでは。
投稿 TAIPA | 2008/03/29 09:26