« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008/04/30

下野薬師寺跡と付近の古墳群

今年のGW前半はどこに行く予定もなかったのだが、山口補選の結果にもかかわらずガソリンの値上げが確実な情勢なので、遠出するとしたらいまのうちにしておきたい。というわけで、28日の月曜日は栃木県までドライブしてきた。

わが家から利根川を渡ると茨城県利根町、そのとなりが取手市である。ここから「下妻物語」で有名になった関東鉄道に沿って、国道294号線を北上する。結城市付近まで行ったら、今度は自治医大方面へ向けて西へ向かう。のどかな田園風景の中、細い道路を入ったところに下野薬師寺跡(しもつけ・やくしじあと)がある。

下野薬師寺は、奈良時代に全国に3つあった戒壇(僧侶の資格検定所)の一つである。唐から苦節十年の後やっと日本に到着した鑑真和上は、754年に平城京・東大寺に日本で初めての戒壇を設立した。一つだけでは足りないので、次いで大宰府観世音寺とここ下野薬師寺にも設立し、この3つが「天下の三戒壇」と呼ばれたのである。

当時の僧侶というと、現在の僧侶にプラスして、大学の教養課程と、医師の国家試験と、司法試験を加えたくらいの教養人だから、イメージ的にはむしろ、東京大学、京都大学、九州大学にあたると考えていいかもしれない。

そして下野薬師寺が有名なのは、なんといっても弓削道鏡の事件によるところが大きい。天武天皇系統では最後の天皇となった称徳天皇が、皇位を太政大臣法王の道鏡に譲ると主張したが、これは和気清麻呂による宇佐八幡の神託で拒絶されることとなった。称徳天皇はその後ほどなくして病死し、道鏡はここ下野薬師寺別当として左遷されたのである。

ただ左遷といっても、現在でいうと総理大臣が失脚して学界に戻り京都大学学長になったということだから、それほど奇異なものではないだろう。また、すでに70歳と当時では高齢な道鏡が、地方で僧侶の資格検定を行うことを苦にしたとはあまり思えない。そして律令体制の崩壊とともに下野薬師寺も廃寺となり、いまは礎石や戒壇跡(江戸時代に再建という)に当時をしのぶよすがを残すのみである。

また、下野薬師寺跡周辺には数十にのぼる古墳群が残されている。これらの古墳は5世紀から6世紀にかけて作られたものとされており、大和朝廷に匹敵する有力な政権がこの地に存在したことを示している。

こうした遺跡は、現在は工業団地の片隅や道路際にある。奈良県にあって「宮内庁管理」であればとても近づくことはできないが、国指定史跡であっても県の教育委員会管理だといくらでも歩いたり見たりできるのはうれしい。はるか千数百年年前に思いをはせた一日でした(花粉症の発作が出ましたが)。

Imgp0480 下野薬師寺跡。建物は回廊の復元予想。平城京跡や飛鳥板葺宮跡によく似ています。

Imgp0486 車塚古墳と石室(拡大可)。石室は凝灰岩(ぎょうかいがん)でできていて、大谷(おおや)あたりから川を運んできたともいわれています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/28

酔って道端に寝た話

最近はあまりお酒を飲まないので急激に弱くなってしまったが、昔は際限なくお酒が飲めた。この季節になると思い出すのは、酔って道端で寝たことである。

いまから22年前の1986年、3年間の大阪勤務から東京に戻ってすぐのことだった。当時は、一軒目ニュートーキョーで飲み、二軒目銀座のはずれにあるカラオケスナックで歌いつつ飲み、最後にラーメン屋で食べつつ飲むという三段活用で終電あるいはタクシー帰りという日が週に何回かあった。その日は金曜日あたりで、おそらく翌日が休みということでがんがん飲んだものと思われる。

最後の店がどんな店だったかよく覚えていないが、時間はとっくに真夜中を過ぎて終電も行ってしまっていた。場所は東銀座のあたりで、なぜか他のみんなとはぐれて一人になってしまったのである。財布をみると何千円かしか残っておらず、タクシーで帰るには現金が足りない。それでも飲んでいたのは、当時大阪ではタクシーの精算がクレジットカードでできたから、当然東京もそうだろうと思って安心していたのである。

車があまり通っていなかったので銀座通りに出て、タクシーを止めた。そして、「クレジットカードで」というと、どのタクシーも「うちはチケットしか使えません」というのである。十台くらい聞いてみんなそう言われて、ようやく気がついた。東京ではクレジットカードでタクシーに乗れないのだ。

それでも何か方法があったはずなのだが、なにせ酔っ払っているもんだからどうしていいか分からない。時計をみると午前3時近くである。4時半くらいになれば、国電(まだJRになる前である)も動き出すだろう。それまでどうするかと考えていたら、そこに地下鉄駅に下りていく階段があった(おそらく銀座駅か、銀座一丁目駅)。

階段の途中からはシャッターが閉まっていて行き止まりであるが、風よけにもなるし一休みするにはちょうどいいように思われた。シャッターの前まで下りて行き、階段に腰をおろす。頭の下に枕がわりにかばんを置き、足をシャッター近くまで伸ばすと、階段の傾斜がちょうどいいあんばいでなんとなく寝られるような気がする。もうこれ以上動くのは面倒くさい。そして、そのまま眠ってしまったのである。

目を覚ましたらもう5時で、2時間近くはそのまま眠っていたことになる。あたりはまだ暗かったが、後は電車に乗ってしまえば家に帰れる。そして二日酔いのもうろうとした頭で、有楽町の駅へと向かったのであった。

後から調べてみると、当時東京ではクレジットカード会社がタクシーチケットをカードとは別に出していて、それを使わなければタクシーに乗れないということが分かった。さっそくそれを取り寄せたのはいうまでもない。ちなみに、当時も個人タクシーのチケットはあったが、私はほとんど見たことがなく、会社を変わってからみんながばんばん使っているのを見て相当驚いた。

いま考えると、寝ている間に身ぐるみはがされるおそれもあったわけで、相当に危ないことであった。そしてその後はそうなる前に家に向かったのでそんなことはなかったのだが、今から5、6年前にもう一度そういう目にあってしまった。それはまた別の機会に書くとして、私が酔っ払って道端に寝たのは、この2回がすべてである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/25

法華経に関する考察(続き)

法華経の趣旨を「布教と教団の維持が最終的な悟りである」と解釈すると、いろいろなことが見えてくる。

お釈迦さまの説いた教えは思想的哲学的に優れたものであるが、それだけでは後の世に残らない。実際に、インドで仏教が盛んだったのは紀元前3世紀にマウリア朝のアショカ王が仏教を保護した頃で、その後衰退に向かっている。印刷も通信も放送もない古代には、人から人への口伝えしか情報伝達の手段がなく、新興宗教である仏教には「人」が十分ではなかったのである(インドの伝統宗教はヒンズー教)。

お釈迦さまのすぐれた教えを残したいという人々にとって、これは非常に大きな問題であった。だから、法華経という仕掛けを使って、教団の拡大を図った。その仕掛けの一つが、法華経の中に頻繁に現れる、「修行者○○は、悟りの世界では△△となり、永遠の存在となるだろう」的な教団内における地位の保証である。

これはさきのオウム真理教において、「○○をマイトレーヤ正大師とする」「△△を科学技術大臣とする」というように、教団への寄与を教団内の地位の向上で評価したやり方と同じものである。そして、法華経を重視する教団は中国そして日本へと伝来した。いま世界で仏教徒の多い国は日本とタイであり、インド周辺ではわずかにチベットくらいにしか残っていないのである。

もう一つの仕掛けが、昨日述べた観音さまの登場である。法華経において観世音菩薩は、人々の願いを世界のどこにいても聞き届け、実現させる仏様として描かれている。まさに現世利益である。それまでの経典では来世における幸福や心の平安を実現させる仏様はあっても、そのものずばり現世において願いをかなえる仏様はなかったはずである。

今も昔も普通一般の人々の関心は、哲学的な悟りよりも、いま目の前にある願いをかなえてほしい、災難から逃れるように助けてほしいというものであろう。その意味で法華経は、より人々の本音に応える形で、お釈迦さまの教えを再構成した、ということになるだろう。もちろん、仏教という教団により多くの人を取り込むために、である。

さて、その法華経の中に「これはどうか」という内容が実は含まれている。法華経の内容は、お釈迦さまが「善男子善女人」の前で述べたことになっているのだが、にもかかわらずその中に、「悟りの世界には女人がいない」と、はっきりと書かれているのである。

じゃあ女の人はどうなるかというと、法華経に書いてあるのは、悟りを開いた女性修行者が「みんなの目の前で女性の体の特徴がなくなり、男性の体となった」のである。正直、これが悟りの世界であるならばちょっとご遠慮申し上げたい。私はやっぱり、女性がいた方がうれしい。

日本仏教史において最大の女好きといえば親鸞上人ということになるが(僧侶として初めて正式に妻帯した)、その親鸞上人が法華経を選ばず、阿弥陀如来の浄土三部経を選んだのは、案外このへんに理由があったのかもしれない。(完)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/24

法華経に関する考察

注.私は軽い意味での仏教徒ではありますが、この記事は宗教というより思想として考察するものです。したがって、「なにがなんでも法華経が一番(南無妙法蓮華経)」という立場ではありませんので、ご了解のうえお読みいただくようお願いいたします。

マカオの街角に行くと、よくビルの壁に貼ってある手書きの広告がある。「妙法百家楽 xxxx-xxxx(電話番号)」

百家楽とはもちろんバカラのことであるから、文脈から判断するに、「妙法」とは「必勝法」というニュアンスが強いものと思われる。これをよく見ているうちに、「法華経」正しくは「妙法蓮華経」も、そのニュアンスは「仏に近づく必勝法」に近いのではないかと思うようになった。

昔から、必勝法と名づけられるものに本質的なものなどない。「数ⅡB必勝法」といえば、試験で出てくるであろう範囲を予想し、最小の努力で最大の効果を得ようとするものであって、数学そのものに興味を持つようには作られていないのと同じことである。

話は飛ぶが、日本にある仏像で最も多く作られているものは何だろうか。統計があるかどうか分からないし、あったとしても見たことはないが、国宝級のものは別として(阿弥陀如来が多い)、普通の仏像では観音さまとお地蔵さんが多いように思う。

お地蔵さん、つまり地蔵菩薩が多いことについては、近世以前の死亡率、特に乳幼児死亡率が高かったこととの関連が大きいと思われるが、一方の観音さま、観世音菩薩はなぜなのか。そして、観世音菩薩が登場するお経、つまり観音さまの根拠規程が実は法華経なのである。

そういえば、まだ法華経を読んでいなかったなあということで、ここ1、2週間、朝晩の電車の中で法華経を読んでいる。テキストは岩波文庫。ヘッドホンでバッハの「平均律クラヴィーレ」を聞きながらお経の原典を読むという、なかなかシュールな通勤である。

そして読んでいるうちに気がついた。法華経というのは、お釈迦さまが最終的にたどりついた悟りの境地を説いたお経ということになっている。確かに、他のお経を受けての表現が多く見られるし、お釈迦さまも「これまでの教えは方便であり、このお経が最終的な悟りの境地である」と言ったことになっている。

ところが法華経を含む大乗仏典は、お釈迦さまの死語数百年たってから成立したもので、お釈迦さま自身が述べたものではないということは仏教史をひもとけば明らかである(後から作ったから他のお経を引用できる)。そして、法華経にはその最終的な悟りがどのようなものかは書いてない、と普通は理解されている。

だから、お経の名前を唱えなさい(題目、南無妙法蓮華経)ということになるのだが、つらつら読み進むうちに、「ん、それはこういう意味で読めるんじゃないか」と思うようになってきた。それはどういう意味かというと、「お釈迦さまの教えを広め、教団を維持することが”最終的な悟りの境地”である」ということである。(続く、かもしれない)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008/04/23

亜月裕「伊賀野カバ丸」

昭和54年から別冊マーガレット(通称「別マ」)連載。別マは集英社系の月刊誌というジャンルでは「りぼん」と重なるが、マーガレットと別マは作者の交流がよくあるのに対し、りぼんとはあまりなかった。また、りぼんは付録があるので値段がちょっと高かった。亜月裕もマーガレットで描いたり別マで描いたりしていたと思う。

伊賀の山中で祖父(じっちゃん)の伊賀野才蔵に育てられたカバ丸は、祖父の死(じつは生きている)により東京で学校を経営している名門の大久保家に引き取られる。理事長である大久保蘭は、初恋の人である才蔵の若い頃に生き写しのカバ丸をかわいがるが、孫の麻衣は野生児のカバ丸が苦手である。

ある日、学園の影の支配者(笑)である目白沈寝を助けた(複雑骨折したのを焼きそばの皿で手当てした)ことから、カバ丸は学園間の紛争に巻き込まれる。何しろ忍者だから、相手の本拠地に忍び込んだり機密文書を盗み見たりするのは本職である。沈寝の腹心である野々草かおるとともに、大活躍をするのだが、というギャグまんがである。

この作品の良さはなんといってもノリの軽いギャグである。たとえば死んだはずのじっちゃんは実は生きていて、カバ丸を東京に出そうと死んだふりをするだけだし、カバ丸を厳しく育てたじっちゃんは実は変装していて、大久保蘭の前に現れるときにはロマンスグレーだったりする。

そして勉強は全然できないカバ丸(授業中は寝ている)なのに、じっちゃんに鍛えられた漢文だけは人並み以上にできたりする。金銭感覚もまったくないカバ丸は、沈寝に協力するかと聞かれて「お前、金あるか」と答える。10万か100万かと覚悟した沈寝にカバ丸が要求したのは「焼きそば10人前」である。

じっちゃん(カバ丸を鍛える方の)にそっくりの焼きそば屋のスーばあさんは、大久保蘭のライバル(と自分では言っている)で、カバ丸を見て、「なるほど才蔵の若い頃にそっくりじゃ。蘭ばばあが半狂乱になって引き取っただけのことはある」などと言ったりする。

この作品は当時実写映画化されて、才蔵が千葉真一、沈寝が真田広之、カバ丸をやったのは千葉真一の弟子、黒崎輝(ひかる)である。ちなみに、大久保蘭が朝丘雪路、麻衣が武田久美子、スーばあさんが野際陽子だから、まあ千葉真一ファミリー作品ということであった。

さらに20年の歳月を経て、作者はカバ丸の息子「こカバ丸」を主人公とする続編「伊賀野こカバ丸」を発表している。原作の登場人物がそれぞれ歳を取って再登場しているので、原作を読んだ人にはかなり面白い作品のはず。

p.s.他にも小説・マンガの書評があります。こちらへ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/04/22

マイナス思考 ~ポーカーの奥深い世界番外編

注.表題どおり、気の滅入る記事です。ご注意ください。

JPPA上野本部、通称「部室」に、畏友BBSTARさん作成のポーカー標語集が掲示されている。いわく、「人に当るな、当てるのはボードだけ」「いつまでもあると思うな、親とスタック」「怒るな客が減る」等々である(記憶なもので少し違います。すみません)。

これを見るたびに、人間死ぬまで修業だなあと思う。他人に手が入り自分には来ない。自分が引きに行くと絶対引けないのに、引かれちゃいけない場面ではしっかり引かれる。ポーカーをしている時間の大部分がそうなので、正直なところそれをコントロールするのがすごく難しい。

最近ようやく自分の運の流れが分かってきて、私の場合、人の何倍も運の偏りが大きい。手が入らない時には本当に確率1%以下のようなことが平気で起こる。逆に入る時にはありえない入り方をする。問題は、リミットホールデムの序盤でいくら入ったところで、勝負にはほとんど影響しないということである。

先週のWPJ5では6時間半とうとうAAが来ず、KKも序盤の1手だけだったが、その流れは続いていて、火曜日のSTEPS、土曜日のストラドル杯、日曜日のスト杯シーズン決勝と、AAからJJまでのハイペアがとうとう1度も入らなかった

AAが12時間来ない確率は、1時間40ハンドとして約9%。これはまあ、仕方がないかもしれない(私の場合)。しかし、AAからJJまで10時間来ない確率は、0.03%である。ちょっと勘弁してほしい数字である。

もちろん、手が来ないなら来ないなりの打ち方をすべきなのだが、ハンドが悪いという時点で、かなり気分は落ち込んでいるのである。なぜか人のところにAA、KK、QQが嵐のように入っているのを見ていて、穏やかな気持ちでいるのはかなり難しい。

そして、そういう時は例外なくボードにも裏切られるのである。STEPSでは、Q以下のペア二人と私のAKというオールインの場面で、AもKも出ず。ストラドル杯ではTTでオールインしたらshadowさんのAKとぶつかり、フロップでAが2枚出た。

スト杯シーズン決勝ではAJオールインでotonnさんから出てきたのはKK。あっさりAが落ちるはずもなく敗退。夕飯前に帰ることになって奥さんから「もう帰ってきたの!」と言われてしまった。

ポーカーの祭典AJPCまであと1ヵ月、手が入る気がしないし、ボードにも当たる気がしない。かなりまずい状況である。底なしのマイナス思考に陥りつつある。

p.s.ポーカーの奥深い世界のバックナンバーはこちら

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/04/21

成田新高速・北千葉道路その後

正月休みに工事の様子を見てきた成田新高速・北千葉道路、その後どうなっているのだろうか。ちょうど大桜の時期でもあるので、しばらくぶりに行ってみた。

先々週から関東地方は雨の日が多く、台風並みの低気圧が2度にわたってやってきた。19日の土曜日は2回目の低気圧が金曜日中大雨を降らせたので、田舎道はまだ水たまりがそこら中にできており、舗装されていない土の部分は靴が沈むほどのぬかるみである。

今回は天気が良くないので、軽に乗って工事現場を見下ろす高台へ。すると、正月には田んぼや草むらを貫いて広く土の筋があるだけだったのに、鉄筋が積み上がった大きな構造物ができている。おそらくは、上に鉄道を走らせるためのコンクリートの土台である。

成田新高速鉄道などのホームページをみると、高架部分を作って上に鉄道、下に道路を作る地区が多いようである。前にも書いたように北総鉄道~成田新高速鉄道はいわゆる新幹線規格で、カーブが緩く踏切が全くない。鉄道と道路を同一平面に作ってしまうと踏切が必要となるので、こういう形になるのであった。

そして180度振り返った逆側は、正月にはほとんど何もなかったが、下の写真のように工事が進んでいる。ブルドーザーはじめ重機もかなりの数入っているのが見えた。そして、正月には入れたのに立入禁止になっているところもあって、前のように間近で撮影することはできなくなっていた。

ちなみに、私が毎日通勤している北総鉄道部分でも、新鎌ヶ谷駅に続き小室駅でもホーム増設工事が完了し、成田空港まで直通電車が走る際に通過待ちをする態勢が整っている。開通が予定される2年後に向けて、いよいよ工事は本格化しているのであった。

p.s.前回の成田新高速・千葉北道路はこちら

Imgp0475 正月にはなかった巨大な鉄筋の構造物。高架部分を作るための土台部分(橋脚)と思われる。

Imgp0476 180度振り返った反対側。正月にはほとんど何もなかった場所である。

Imgp0478 大雨が続き、天然記念物「吉高の大桜」も散ってしまいました。手前の畑に、花びらが見える。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008/04/18

春の特別連載 ~マダムYの素敵な青春(最終回)

注.この物語はフィクションです。

銀行には転勤が多い。そして定期の異動というのは支店長など偉い人だけで、下っぱの異動は月に何度も発令された。男子行員は3年くらいごとに支店を変わるが、これは不正防止という意味合いもある。異動が発令されると関西だろうと九州だろうと、1週間以内に引継ぎを終えて転勤先に出勤しなければならない。

一方で、女子行員は同じ支店に何年もいることが多いが、しょっちゅう寿退社があるので、それを穴埋めするために転勤があった。マダムYは下町支店に入ってまだ1年余りだが、そうした事情で転勤になったようである。転勤先は都心支店で、埼玉に住むマダムYからすると、下町支店のある上野から銀座線に乗って10分ほど先になってしまった。

都心支店は優雅であった。ビジネス街にあるためお客様はそれなりに多かったが、下町支店と違って朝から晩までひっきりなしということはなかった。マダムYの今度の受け持ちは「定期預金」で、主に得意先係がお客様から預かってきた定期預金や通知預金を証書にするのが仕事だった。前にやっていた「センター」とは違って、一日中入金処理をしたり入金通知の電話をしたりしなくてもいいので、大分と楽である。

店全体に余裕があるので、「5・10日(ごとうび)」とよばれる忙しい日を除いて終業時間の5時近くなると店の男子行員が誘いに来る。そして7、8人くらいのグループですぐ近くの銀座とか、赤坂とか、あるいは新宿あたりまで飲みに行くのである。その頃のマダムYは何といっても19か20だから、お誘いは毎日のようにあった。

そして、会計はというと、若い女の子はタダか、せいぜい500円くらい分担するだけである。その頃でも牛丼1杯300円だから、ほとんど出していないのと同じである。おまけに、遅くなるとタクシーで家まで送ってくれる。銀行員だから給料が高いということもあるが、都心支店にはお金持ちの人が多かったのである。

そんな訳で、都心支店に来てからマダムYの預金残高はどんどん増えていった。これまで自腹で飲んでいたのに、ここへ来てからほとんどゴチである。同じ銀行なのになんて違うんだろう、とマダムYは思った。りえちゃんがこの支店に配属されていたらどうだっただろうと考えた。でも、きっと独立心の強いえりちゃんは自分で払わないのはかえって嫌がるような気がした。

でも、こうした毎日はマダムYには、全く苦にはならなかったのである。マダムYの青春は、連日の飲み会とともにそのピークを迎えていた。

-------------------------------------------

携帯に入れてある堅ちゃんのアラームが鳴った。今日も、マダムYの一日が始まる。毎日のように銀座・赤坂・新宿に出没したマダムYが、なぜこうして家庭の主婦におさまったかについては、また別の話になるのであった。(完)

p.s.「マダムYシリーズ」のバックナンバーはこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/17

ライトヘビー級特別試合展望

ライトヘビー級12回戦(4/19、米ラスベガス)
統一スーパーミドル級C ジョー・カルザゲ(44戦全勝32KO) -260(1.3倍)
元統一ミドル級C バーナード・ホプキンス(48勝32KO4敗1引分け) +220(3.2倍)

先週は4試合予想して4試合的中。すべてFavoriteだったので1試合ずつのオッズはたいしたことはないが、4試合のパーレイだと3倍近い配当になる。一方で阪神の桜花賞は人気馬がだらしなかった。スケートのショートトラックでもあるまいし、走るたびに順序が変わるというのはいただけない。だから競馬は安心して買えないのである。

さて今週末は、1997年以来11年間WBOのスーパーミドル級王座を守ってきたカルザゲと、95年から2005年まで足掛け11年間IBFミドル級のチャンピオンだったホプキンスのスーパーマッチ。オッズは今のところガルザゲだが、小差である。

やはり主役はホプキンスだろう。2005年にジャーメイン・テイラーに小差判定でミドル級王座を手放した後も、2006年にアントニオ・ターバー(先週、IBF王座獲得)、2007年にロナルド・ライトをそれぞれ退け、43歳だというのに衰えをみせない。

43歳のプロボクサーが果たして往年の力を発揮できるのか?過去のデータからいうと厳しい。しかし、先週の試合で39歳のターバーがタイトルを奪取し、グレン・ジョンソンもチャド・ドーソンとかなりの好試合をしたらしい。

昔のように短期間に多くの試合数をこなすこともなく、計量は前日で、ラウンド数も12ということで、もしかすると選手の競技寿命は飛躍的に伸びているのかもしれない。それにターバー戦も、ライト戦も、ホプキンスはunderdogだった。

一方のカルザゲ、前回のミッケル・ケスラー戦は統一戦ということもあって両選手とも動きが固かった。カルザゲもすでに36歳、昔はハードパンチャーだったが、拳を痛めてから以前のような切れ味はなく、そして初めてのラスベガスである。

問題は距離だろう。カルザゲはサウスポーだが、ホプキンスは相手が右構えだろうと左構えであろうと関係ない。カルザゲが中に入って細かい連打を決めるようならペースを握るが、お互いのパンチが届かない距離でにらみ合う形になると膠着しそうだ。

そうなると、決定力はむしろホプキンスにある。そして、打ち合いで体力を消耗させないと年齢は関係ない。ホプキンスに極端な衰えがない限り、オッズとは違ってホプキンスのペースになる可能性の方が大きいのではないか。いずれにせよ小差判定だが、ホプキンスへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/16

WPJ5決勝 ~ポーカーの奥深い世界59(その3)

第5ラウンドは200-400。5000点弱しかないので、次にレイズしたら命がけである。そして、スチールできるぎりぎりのチップ量である。オールインスチールをしたり、ブラインドでたまたま当たったりしてなんとか生き残るが、チップは増えない。そして、この間にも何人か飛んで、ラウンドが終わる頃にはあと1人でテーブルブレイクというところまできた。

第6ラウンド、ここからアンティ50、300-600である。これからは下りているとどんどんチップが減る。そして、たとえオールインしてもみんな厳しいチップ量なので受けられてしまう可能性が大きい。しばらくしてショートのiguさんがオールイン。そして自分のハンドを見ると99である。

実はここまで6時間近くプレイしてきて、最高ハンドがKK、それ以外にハイペアは来ていない。だから99は、本日2番目のいい手ということになるのである。iguさんは堅いプレーヤーだからハイペアの可能性が高いが、もしかしてAとハイカードがあるかもしれない。なんといっても、チップ量が私より少ないショートスタックなのだ。

しばらく迷ったが、オールイン。出てきたのはQQ。まあ仕方がない。ボード68Tと出て、7と9の6アウツまでチャンスは広がったが、結局そのまま押し切られチップ量はとうとう2000点を割ってしまった。

ここはなんとかしのいだのだが残り2テーブル、ブラインドはさらに上がってアンティ75の450-900。いよいよどこかでオールインをしなければならない状況となった。ミドルポジションでAT、いつまで待っても今日はこのくらいのハンドしか来ないのでオールイン。2人コールしたので開くことができない。

リバーでが出たのでもしや、と思ったのだが、その前に出ていたをチップリのながっちさんが持っていてここでゲームセット。16位での終了となった。

ちなみに、この大会を優勝したkopaさんは、私が飛ぶ直前にAAオールインを決めて危険水域から一気に安全圏に抜け出したところだった。kopaさんおめでとうございました。(といいながら、同じような位置から抜け出されてとってもくやしい)

瀕死状態で2日目に突入するのなら、ここで飛んだのはむしろ良かったのかもしれない。今年の特徴はAとハイカードは多かったがほとんどボードとかみ合わず、しかもペアが来なかったということであった。高い方からいうとKKがスチール、99、77はそれぞれオールイン負けである。

もしかしたら、序盤自重した中に絶好のチャンスがあったのかもしれないが、それは作戦だから仕方がない。いずれにせよ、今回は直前に体調を崩したのが大きかったと考えることにしよう。幸い、シーズンは始まったばかりである。

p.s.「ポーカーの奥深い世界」のバックナンバーはこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/15

WPJ5決勝 ~ポーカーの奥深い世界59(その2)

この時点で、同じテーブルでもShinさんは飛んでいるし、せりかっちはAAvsKKのオールイン対決でKが落ちてしまいゲームセット、あちらの卓ではSatoさんが終了している。序盤抑えたのは悪くない作戦だったはずだし、実際に手も入っていない。ここからが本番である。

しばらくしてAQからフロップKJ4、ターンという場面。BBSTARさんのベットに喜んで!とコールしたら、iguさんがレイズである。AK、AJ、QT、セットのどの手でも入っていたらありそうなアクションだし、現状負けているので下りる。リバーではもちろんが落ちて、iguさんは4のセットだった。

またしばらくしてショートスタックのharuhiさんからオールインが入ってハンドを見ると77。1500点くらいだったのでコールすると、相手はAJ。ボードにはAが2枚しっかりと落ちて、またチップをざっくり減らす。

さらにこのラウンドの終了間際、スモールブラインドでK9。コールで回ってきたので参加する。ボードにKとスモールカードが落ちたので打って出ると、チップを持っているりえさんがレイズ。ここでコールしてしまい、その後も打たれてずるずるコール。相手はK7でフロップからツーペア。ワンペアでは勝てない。

結局、第4ラウンドが終わって夕食休憩時には4850点、1ラウンドでチップを半分以上減らしてしまった。1時間の休憩があるので、近くのコーヒー屋さんでアイスラテを飲みながら一人で反省する。

ただ、どこが悪かったのかというと、明らかなミスはなかったような気がした。このへんから行かないと、ブラインドが上がってから苦しくなる。AJレイズをリレイズされて下りるのは間違っていないはずだし、AQvs44で4が落ちたのも、77vsAJでAを引かれたのも、じゃんけんに負けたということである。

最後のK9vsK7では、SBで参加しなければ良かったということはあるものの、トップペアヒットで打って出て悪いという理由が見あたらない。しかも、最初からキッカー負けとかセットというならともかく、結果的に25%を引かれてしまったのである。

夕食前までに8人がゲームオーバーとなり、残りは3テーブル23人。チップ量はスタート時点のトップ4人、ながっちさん、shadowさん、りえさん、inoさんがさらに増やしており、入賞圏の7位は15000点前後。生き残っていれば、チャンスはなくはないと思い直して部室に戻ったのであった。(この項続く)

p.s.「ポーカーの奥深い世界」のバックナンバーはこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/14

WPJ5決勝 ~ポーカーの奥深い世界59(その1)

4月第2週はWPJ5、今年度の世界選手権ポーカー日本代表決定戦である。入賞すると、WSOPの出場権が得られる大きなトーナメントである。開催日時は早くから発表されている。だから、その前の週に体調を崩す奴がいるとしたら(私である)、崩す方が悪いのである。

ポーカーにおいて、集中力は勝敗を分けるかなり大きな要因であろう。中1週のブランクと直前調整を行えなかったことは、その点においてかなりのビハインドである。ボードを見た一瞬で戦局の展開を読み、相手の反応を探り、自分のアクションを決定する、そのプロセスが相当部分さびついてしまうのである。

それならオンラインポーカーで調子を整えればいいかというと、それはどうだろうか。実際に人を相手にするのと、ディスプレイを通して戦うのとはちょっと違うと思うし、だいいち敵の顔が見えない。一種の勝負勘、おおげさにいえば危機察知能力がオンラインの場合働きにくいのである。

そんな訳で試合当日を迎えた訳であるが、一瞬の判断力に不安を抱える中で最も可能性のある作戦として、「できるだけ参加せず、参加した勝負を確実に取るようにする」のがベターであると思われた。だから勝負はブラインドが上がって200-400以降、それまでは勘が鈍っているのだから抑え目に行こうと決めた。

99点あるので、10200点スタート。平均チップは12000点前後らしいので、若干それよりも低い。それでも31人中10位だから、悪くはない位置である。入賞は7位からと発表される。約4分の1の確率である。

1ラウンド25-50。オープニングでAQが入り、Aヒットで初ポットを獲得。しかし、その後は長いトンネルに入る。あまりいい手が来なかったこともあるが、セカンドヒットやフラッシュドロー、ストレートドローで下りていたのは当初の作戦通りなので仕方がない。2ラウンド50-100、基本的に、全部下りた。AKはもちろん、トップペアヒットや2ペアでも下りていたので、中には実際には勝っていたハンドもあったようである。

2ラウンド終わって、チップは8775点。じりじりと減らしている。3ラウンド75-150。このラウンドはいいハンドが来た。KKはスチールに終わったが、AQで参加したゲームはフロップJJQからリバーでが到着、QフルJというこの日のベストハンドをあがることができ、チップ量も11300点と原点を上回るところまで伸ばすことができた。

次の4ラウンド、125-250。昨年ゲームセットとなったラウンドである。これだけチップがあれば、昨年のように夕食前に飛ぶことはなさそうだ。ブラインドも上がってきて、そろそろ勝負に入るタイミングでもある。このラウンドに入ってすぐ、ボタンでAJが入った。メイク750点のレイズ。しかし、SBのShadowさんにメイク3000点のリレイズを食らう。チップ量に差があるので下りざるを得ない。いっぺんに、浮いていた分がなくなった。(この項続く)

p.s.「ポーカーの奥深い世界」のバックナンバーはこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/11

魏志倭人伝(21) ~常識で考える日本古代史38

2.5 倭人は何を食べていたか

前回のあらすじ
狩猟からコメの生産に特化するためには、いくつかのリスクがある。年に一度の収穫しかないこと、病虫害による収穫量の差が大きいこと、常に収奪のおそれがあること、などである。これらを解決するためには、金属器(青銅器・鉄器)が大きな要素となったのではないか。

世界的にみると青銅器の発明は鉄器よりも早いが、いずれも紀元前10世紀よりも前のことであり、日本列島に入ってきたのは同時期であるとみられる。中国本土に3000年以上前からあったものだからそれまでも少しは渡来していたと思われるが、量的に拡大したのは以前述べた「倭国大乱」、朝鮮半島からの大規模な民族流入が起こった2世紀であると考えられる。

金属器の流入がなぜ稲作において重要なのかというと、まず第一に生産性が飛躍的に増大するからである。水田を作るには、まず水路を引き、畦(あぜ)を作り、中の土を耕すという工程があるが、いずれの場合も木製品と金属製品では作業効率に大きな差がある。また、収穫の際にも、木とか貝で刈り取るのと、金属器で刈り取るのとでは能率が違う。ということは、金属器があれば、より広い水田を開き、より多くの収穫が可能となる。

加えて、水田面積が広くなることにより、病虫害のリスクも全部とはいえないが若干は軽減される。範囲が広ければ、場合によっては損害が一部の水田でとどまることが考えられるからである。

また、収奪を防ぐためにも、金属器は有効である。例えば、備蓄してあるコメを奪おうとする側と防ごうとする側を考えた場合、実は奪おうとする側の武器は金属器でなくてもいい。弓矢にせよ槍にせよ、木や竹を使ってある程度殺傷力のある武器は作れるからである。

一方で、これを防ぐ側に金属器があるのとないのとでは、守備力にかなりの差が出てくる。コメを作る側というのはいうまでもなく防ぐ側にあたり、金属製の武器、盾や防具があることは収穫を守る上でかなり有効であろう。

これらの要因により、金属器の流入によって「稲作専業になることのリスク」が小さくなり、それまで漁業を中心とした狩猟経済で生活してきた人々が、稲作という専門分野に特化した。そして、おそらくは天候が良かったり病虫害が少なかったりという運に助けられて、稲作ベンチャーは自分達が食べる量以上の収穫、つまり余剰生産力を得ることができたのではないだろうか。この連載のはじめに述べたように、この余剰生産力が、領土拡大への最初の契機となる。

そして、ここで金属器のもう一つの利点が生かされる。コメは、炊いたりお粥にして食べるのが最も適しているのだが、土器ではそれが難しかったということである。金属器である鍋・釜の出現により、日本人はコメを炊いて食べられるようになった(そして後世まで、鍋釜というのは重要な家財道具である)。これらの要因が合わさって、金属器の流入は稲作を後押ししたと考えられるのである。(この項終り)

p.s.常識で考える日本古代史のバックナンバーはこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/10

春の特別連載 ~マダムYの素敵な青春(第3回)

こうして同期入社のえりちゃんと仲良くなったマダムYは、仕事が終わると大宮に飲みに行った。考えてみれば、高校卒で就職しているのだからまだ20歳になっていないのだが、その頃は社会人であればそれほど固いことは言わない時代だったのである。

えりちゃんのお母さんは病院で食事を作るのがお仕事だった。えりちゃんの部屋は使わなくなった病室で、古いベッドを二つくっつけてその上にこたつを乗せているのであった。マダムYとえりちゃんは、飲みに行って遅くなるとこの部屋のおこたで二人で寝た。

朝になると、えりちゃんのお母さんが「朝ですよ」と言って、二人の朝食を持ってきてくれた。お母さんの作ってくれた病院の朝ご飯である。二日酔いの疲れた胃腸には、入院患者さんと同じメニューはやさしかった。

夏になると、銀行では交代で1週間ずつの休暇をとる。マダムYはえりちゃんと一緒に休みをとり、グアム島へ行った。シーズンオフでグアム島は空いていて、ホテルのプライベートビーチには「なまこ」がたくさん浮いていたが、真っ白い砂浜を2人だけで過ごした。

「なんか私、銀行向かないんだよねー」
トロピカルドリンクを飲みながら、えりちゃんは言った。
「仕事つまんないし、堅苦しいし、もっとなごやかな職場がいいなー」

「そんなこと言わないで、一緒に働こうよー」とマダムYは言った。えりちゃんがいないと、一緒に飲みに行く相手がいなくなってしまう。確かに銀行はそれほど楽しい職場ではなかったが、かといってつらくて仕方がないということもなかった。ようやく仕事も覚えてきたし、そもそもマダムYはからどんなことにもすぐ慣れてしまい、あまり深く考えないというお得な性格をしているのである。

それからしばらくして、えりちゃんは会社を辞めてしまった。マダムYは他の同期生や先輩たちと付き合うようになったが、なんとなく前ほど職場に親しみを感じなくなった。京浜東北線で気分が悪くなると、有給休暇を使って休んだ。だから、また春が来て、2年生になってすぐに転勤の発令を受けても、それほど寂しくなかったのであった。(この項続く)

p.s.マダムYシリーズのバックナンバーは、こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/09

ボクシング・ウェルター級ウォーズ展望

WBA世界ウェルター級タイトルマッチ(4/12、米国アトランティックシティ)
チャンピオン ミゲール・コット(プエルトリコ、31戦全勝25KO) -800(1.1倍)
挑戦者 アルフォンソ・ゴメス(メキシコ、18勝8KO3敗) +500(6.0倍)

ウェルター級は現在、強い選手が目白押しの充実したクラスであるが、その中であえて二人選ぶとすると、人気のメイウェザー、実力のコットということになるだろう。その実力王者コットのこの階級4度目となる防衛戦である。

これまでの防衛戦の相手であるオクタイ・ウルカル、ザブ・ジュダー、シェーン・モズリーからすると、平凡な相手といえなくもない。だがゴメスは、昨年7月にアルツロ・ガッティをKOして引退に追い込んでおり、ガッティの代役という意味合いもあるかもしれない。

ディフェンスが巧みでかつハードパンチャーであるコット、前回のモズリー戦ではスピードに苦しめられてきわどく判定勝ちしたが、今回は実力的にみてKOしなくてはならない相手である。

ちなみに、この試合の後、コットは7月にリカルド・マヨルガ戦が予定されている。昨年スーパーミドル級で試合したマヨルガが3階級下のウェルターまで落とすとも考えづらいところだが、どちらかというとこちらの試合の方が楽しみである。

IBF世界ウェルター級タイトルマッチ(日・場所同じ)
チャンピオン カーミット・シントロン(プエルトリコ、29勝27KO1敗) +240(3.4倍)
挑戦者 アントニオ・マルガリト(メキシコ、35勝25KO5敗) -300(1.3倍)

KO率90%と衝撃の強打者シントロンが、3年前に唯一敗れている相手である前WBO王者マルガリトとの防衛戦に臨む。

昨年11月、ホセ・フェリシアーノ相手の防衛戦で明らかになったように、ストレートパンチャーのシントロンにとって、接近戦で細かく手を出す相手は大の苦手である。

その意味で、他の3団体のチャンピオンよりも、マルガリトの方がシントロンにはやりにくいだろう。逆に考えれば、みんなマルガリトを嫌がるからシントロンに回ってきてしまったということなのかもしれない。

マルガリトが接近する前にシントロンの一撃が決まってしまえば終わるが、マルガリトもそのあたりは十分承知している。シントロンの勢いが上回る序盤3Rくらいまでは様子をみて、中盤からエンジン全開となるだろう。

シントロンが勝つとすれば2RまでのKO、それより長引けばマルガリトのKO勝ちと予想する。いずれにせよKO決着が濃厚。

この2つの試合は、14日のWOWOWでタイムリー・オン・エア中継される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/08

ボクシング・ライトヘビー級ウォーズ展望

先週土曜日の榎vs粟生戦は、3ジャッジいずれも引分けで終わった。WEB上では「いいカードだというから楽しみにしていたのに、動きが少なくつまらない試合だった」という意見もみられたが、わたし的には見ごたえのある試合だったと思う。

惜しむらくは、榎は粟生のコンビネーションをガードするのに、粟生は榎の左ジャブをよけるのにそれぞれ忙しくて攻撃面での踏み込みが今一歩だったことで、その意味では世界ランクが下で年も若い粟生が、もう少しリスクを取りにいくべきだったように思う。

私の採点では115-113で榎。減点はされなかったものの、榎の2度のローブローの印象が不利に働いたかもしれない。ただ、粟生も榎の頭を押さえる行為が目立ったので、仕方のない面もある。

それよりも、この試合はWBAのエリミネーター(挑戦者決定戦)であるのでラウンド・マスト方式(各ラウンド優劣をつける)が採用されたことをTV解説ではちゃんと触れるべきで、普通のOPBF・日本タイトルマッチだったらおそらく違う判定結果になったように思う。

さて、今週末アメリカでは、2つの階級でダブル・タイトルマッチが開催される。今日は重い階級の方、ライトヘビー級の展望。なお、こちらの試合はSHOWTIMEのペイ・パー・ビューなのでリングアナウンサーはジミー・レノンJr.、明日お送りするウェルター級はHBOなのでマイケル・バッファーとなる。

WBC世界ライトヘビー級タイトルマッチ(4/12、米フロリダ州タンパ)
チャンピオン チャド・ドーソン(アメリカ、25戦全勝17KO) -360(1.3倍)
挑戦者 グレン・ジョンソン(アメリカ、47勝32KO11敗2引分け) +280(3.8倍)

最近のビッグマッチの世界戦離れは、このライトヘビー級から始まった。かつてWBA、WBC、IBF3団体を統一していたチャンピオン、ロイ・ジョーンズJr.がターパーとジョンソンに相次いで敗れ、その両者が世界一決定戦を世界戦統括団体のタイトルマッチとしなかったことから、世界一と世界チャンピオンが別になってしまったのである。

そしてそのターパーとジョンソンが、この日の世界タイトル戦興行に挑戦者として登場する。ともに30代後半。力の衰えは隠すべくもないが、果たして世界チャンピオン達とどのような戦いをするのか、ある意味楽しみな2試合である。

ジョンソンの方は今年39歳。世界に挑戦しては負ける選手だったが、2004年ロイ・ジョーンズにKO勝ちして35歳で初めて世界チャンピオンになった。その後も世界戦線で活躍し続けており、持ち前のタフネスは健在である。

かたやドーソンは25歳。米国のニュースターであるが、最初に述べたようにこのクラスの強豪はこのところあまり世界戦に出ていないことから、それほど骨のある選手とはやっていない。身長195cmのサウスポーだから、サイズ的にはターバーとほぼ同じ。しつこいジョンソンに苦しめられるのか、それとも圧倒するのか、この試合でドーソンの評価が固まることになる。

予想としては、ドーソン判定勝ち

IBF世界ライトヘビー級タイトルマッチ(日・場所同じ)
チャンピオン クリントン・ウッズ(英国、41勝24KO3敗1引分け) -110(1.9倍)
挑戦者 アントニオ・ターバー(アメリカ、26勝19KO4敗) -140(1.7倍)

クリントン・ウッズといえば2002年に、ときの3団体王者ロイ・ジョーンズの指名挑戦者でありながら、「猫だましパンチ」で一撃KOされた試合のイメージが強すぎるが、IBFの王座をすでに4度防衛している。

問題はターバーの出来である。「ロッキー・ファイナル」への出演以来スピードもパワーも持久力も落ちてしまい、バーナード・ホプキンスに完敗、前回の試合もKO勝ちはしたものの内容は良くなかった。もともと天才肌で横着なボクシングをするところはロイ・ジョーンズとよく似ている。

ターバーの出来が60%以上戻っているようなら、この試合はターバーである。しかし、それ以下の出来であるようだと、ウッズが大したクリーンヒットをしていなくても、ターバーが勝手に負けてくれることにもなりかねない。

ターバーKO勝ちを期待したいが、この期待は裏切られる可能性がかなりある。ドーソンとターバーが勝ち残って統一戦になるようなら、かなりのビッグマッチが期待できるのだが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/07

花粉症だけじゃなかった ~せいうち日記19

先週火曜日の晩はひどく冷え込んだ。私の住んでいる北総台地では、になるとぐんぐん気温が下がって外はおそらく5度くらい。帰りはコートなしなので寒く、お風呂に入るとき大げさでなくがたがた震えてしまった。おまけに風も強く、花粉症の身にはかなりつらい状況である。

その翌朝、4時頃にはもう目がさめてしまう。鼻が詰まって寝ていられないのである。今年は早くから抗アレルギー剤を飲んでいるのであまり症状がでなかったが、いよいよ花粉症の季節になってしまったか、と思った。私の花粉は杉ではないようで、毎年4月の今時分からゴールデンウィーク明けまで続くのであった。

体はきつかったが、さすがに花粉症では会社は休めない。水曜、木曜と寝不足の目をこすりながら出勤したのだけれど、睡眠時間は3時間程度。それも帰ってすぐ体力の限界がきて倒れるように眠り、3時間たつと鼻が苦しくて目が覚め朝まで眠れない、それの繰り返しである。

仕方がないから4時くらいから起きて、パソコンを打ったりしていた。体を起こすと、少しだけ鼻が楽になるのである。そして金曜日。なんとか会社をやり過ごして家に帰る途中思った。これは花粉症じゃあないんじゃないか?

というのは、私の花粉症の特徴であるくしゃみが止まらないということが全くないし、のどだけでなく頭や耳の奥がきりきり痛むというのも疑わしい。そういえば、前にも花粉症と思っていたら全然違って風邪だったなどということもあったような気がする。

そして土曜日の朝早く、奥さんと車で耳鼻科へ。「のどが真っ赤だし、中耳炎になりかけてますね。花粉症じゃここまでなりません」と先生。やっぱり花粉症だけじゃなかったんだ。抗生剤と腫れ止めの飲み薬、それと少し強めの抗アレルギー剤を処方してもらう。

この日は4月最初のストラドル杯であり、ここでWPJ決勝前の最終調整をしたかったのだが、そういうわけで休養日になってしまい残念ながら参加できなかった。そして昔のブログを見ていたら、わずか10ヵ月前、同じように花粉症でなくて風邪ということがあったのを発見した。年を取ると昔のことは覚えているが最近のことを忘れるというのは、本当である。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2008/04/04

魏志倭人伝(20) ~常識で考える日本古代史37

前回のあらすじ
縄文式土器は比較的低温で焼かれており、しかも釉薬(うわぐすり)などの表面処理が行われていないことから、現代の煮炊きのようにいろいろな調理方法が可能であった訳ではない。コメも多くの場合は蒸して食べられたと考えられている。

江戸時代後半までアイヌの人々は、男たちは狩りや漁に出て獲物を狙い、女たちは住み家の近くにいて木の実や球根の採集をするかたわら、穀物を栽培することもあった。おそらく縄文時代の人々も同じように、住居の周囲で稲作を行っていたと考えられる。

狩猟を止めて稲作に集中することも当然可能性としてはありうるが、そのためにはかなりのリスクを覚悟しなければならない。最初に指摘できるリスクは、収穫が基本的に年一回しかないことである。

例えば魚を獲る場合には、もちろん収穫量に多い少ないはあるものの、収穫はほぼ毎日ある。だからたまたま天候等の要因で収穫が得られない日があったとしても、次の日漁に出るまで食べるのをがまんすればいい。しかし、年に一回しか収穫がない場合、もし収穫がゼロだったとしたら次の年まで我慢することは人間にはできない。

第二に、現代と違い病虫害によって収穫量が左右されることである。村上春樹の「羊をめぐる冒険」の中に明治時代の開拓農民のエピソードがあるが、一年目はいなごのため、二年目は天候不順のため収穫が得られなかった。古代には農薬や品種改良はなく、そうしたリスクは現代とは比較にならないくらい大きかったはずである。

第三に、古代においては現代のように治安が保たれているということはなく、大きな収穫があるということは常に他者からの収奪の可能性があることを意味する。昨今でも、秋になると収穫後の倉庫を狙ったコメ泥棒が出るくらいであり、古代においてその脅威は現代の比ではないだろう。

加えて、前回みたように縄文式土器はコメの調理に必ずしも向いているとはいえない。果実やクリ類、イモ類と違って、コメは熱を加えて調理しアルファ化しないとカロリー源になりにくいのである。

こうしたリスクを軽減化し、漁業に替わって稲作が日本の基幹産業となるためには、おそらく一つの条件が必要だったと考えられる。その条件とは、金属器(青銅器・鉄器)の日本列島への流入である。(この項続く)

p.s.「常識で考える日本古代史」のバックナンバーはこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/03

春の特別連載 ~マダムYの素敵な青春(第2回)

注.この物語はフィクションです。(と、断っておかないと書けません・・・)

就職したマダムYが配属されたのは、上野杉坂屋前にあるM銀行下町支店であった。埼玉の農協とは違い、朝からひっきりなしにお客さんが来る大変忙しい職場であった。驚いたのは、3時に店が閉まっても、得意先の人たちが集金から戻ってきたり、店を閉めてからの業務があったりして、夜になってもちっとも仕事が終わらないことであった。

新人のマダムYは、「センター」という部署に割り当てられた。この部署は、本店から回ってくる入金伝票を端末機で入力してお客さんの口座に入金し、入金されたことをお客さんに電話でお知らせすることが昼の仕事であり、閉店後は総合振込や給料振込などの予約を、同様に端末機に入力することである。

ちなみに、これらの仕事は現在ほとんどが機械で自動処理されている。当時はこうやって、人の力で処理していたのであった。

「えーと、”当座”押して、”入金”押して、口座番号と金額入れて、振込人名入れて、よし完了!」とエンターキーを押すと、東京事務センターの大型電算機に情報が送られる。その後になって、「あれー、金額間違えちゃった」という場合は、その処理を取り消してもう一回打ち直しである。こわい主任さんの所へ行って、誤記取消の赤い紙をもらわなければならない。

「なんだー、また誤記かぁ」主任さんも忙しいので気が立っている。「いつまでも新人じゃねえんだぞ。いい加減仕事覚えろ」と言われつつ赤い紙をもらう。この誤記取消の多い少ないは、支店の事務成績に反映され、めぐりめぐってボーナスの査定にも影響してくるので、上の人にとっては重要な問題なのであった。

「あー、やってられない」と大宮のスナックでいつも言うのは、同期入社のえりちゃん。高校卒でM銀行に入った何百人の中で、同じ下町支店の新人は4人いるのだけれど、帰る方向が同じえりちゃんとはすぐに仲良くなった。えりちゃんは「当座」という部署にいて、一日中手形と小切手の印鑑照合をするのが仕事である。仕事が終わって御徒町から大宮まで京浜東北線に乗り、週に一度はぐちを言い合うのである。

「だからさー、こんなに一日中目一杯働かされて、何でこんなに給料安いの。」銀行員の給料は高いと世間ではよく言われるものの、それは何年か働いた後のことであり、若いうち何年かは他の業種と変わらない。しかも、仕事はきついし残業時間もちゃんとつけられないので(サービス残業というやつである)、時給にするとかえって給料はよくない。

「それに、男はつまんない奴