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2008/04/24

法華経に関する考察

注.私は軽い意味での仏教徒ではありますが、この記事は宗教というより思想として考察するものです。したがって、「なにがなんでも法華経が一番(南無妙法蓮華経)」という立場ではありませんので、ご了解のうえお読みいただくようお願いいたします。

マカオの街角に行くと、よくビルの壁に貼ってある手書きの広告がある。「妙法百家楽 xxxx-xxxx(電話番号)」

百家楽とはもちろんバカラのことであるから、文脈から判断するに、「妙法」とは「必勝法」というニュアンスが強いものと思われる。これをよく見ているうちに、「法華経」正しくは「妙法蓮華経」も、そのニュアンスは「仏に近づく必勝法」に近いのではないかと思うようになった。

昔から、必勝法と名づけられるものに本質的なものなどない。「数ⅡB必勝法」といえば、試験で出てくるであろう範囲を予想し、最小の努力で最大の効果を得ようとするものであって、数学そのものに興味を持つようには作られていないのと同じことである。

話は飛ぶが、日本にある仏像で最も多く作られているものは何だろうか。統計があるかどうか分からないし、あったとしても見たことはないが、国宝級のものは別として(阿弥陀如来が多い)、普通の仏像では観音さまとお地蔵さんが多いように思う。

お地蔵さん、つまり地蔵菩薩が多いことについては、近世以前の死亡率、特に乳幼児死亡率が高かったこととの関連が大きいと思われるが、一方の観音さま、観世音菩薩はなぜなのか。そして、観世音菩薩が登場するお経、つまり観音さまの根拠規程が実は法華経なのである。

そういえば、まだ法華経を読んでいなかったなあということで、ここ1、2週間、朝晩の電車の中で法華経を読んでいる。テキストは岩波文庫。ヘッドホンでバッハの「平均律クラヴィーレ」を聞きながらお経の原典を読むという、なかなかシュールな通勤である。

そして読んでいるうちに気がついた。法華経というのは、お釈迦さまが最終的にたどりついた悟りの境地を説いたお経ということになっている。確かに、他のお経を受けての表現が多く見られるし、お釈迦さまも「これまでの教えは方便であり、このお経が最終的な悟りの境地である」と言ったことになっている。

ところが法華経を含む大乗仏典は、お釈迦さまの死語数百年たってから成立したもので、お釈迦さま自身が述べたものではないということは仏教史をひもとけば明らかである(後から作ったから他のお経を引用できる)。そして、法華経にはその最終的な悟りがどのようなものかは書いてない、と普通は理解されている。

だから、お経の名前を唱えなさい(題目、南無妙法蓮華経)ということになるのだが、つらつら読み進むうちに、「ん、それはこういう意味で読めるんじゃないか」と思うようになってきた。それはどういう意味かというと、「お釈迦さまの教えを広め、教団を維持することが”最終的な悟りの境地”である」ということである。(続く、かもしれない)

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コメント

深く考えた事はないけど
南無妙法蓮華経と唱え奉るのは
亡くなった仏様のためだと思っていました。

バカラでここはどうしても!お願い!!という時は
手を合わせて南無妙法蓮華経...と
自分のために拝んでますなぁ( °o°)

投稿 びびり姫 | 2008/04/24 08:14

>> びびり姫さま

コメントありがとうございます。

祈るということは、祈る者(私)と祈られる者(神仏・ご先祖など)との関係がすべてであり、場所(寺・神社・教会・・・)や言葉(アーメン、ナムアミダブツ、・・・)にかかわらず、すべて尊いものだと考えます。

もちろん、びびちゃんが、ご先祖様や神様に手を合わせるということも尊いし、とてもすばらしいことだと思います。

そのお祈りする言葉の意味をくどくど考えるのは、私のようなひねくれ者だけなので、どうか気になさいませんように。

ちなみに私は、お空に大きな目があって、すべてのものを見ている、と信じています。ではでは。

投稿 TAIPA | 2008/04/24 20:15

Tパ先生の本日のブログを読んで
子供と改めて『拝む』という事を考えてみました
小さな頃からお墓に参って手を合わしてお経を唱えるという行為をごく自然にしてきたからでしょうか今まで大きな怪我や骨折、重い病気もせず健康に過ごしております。
これもおじいちゃん、おばあちゃんが見守ってくれてるからだと信じております。
時々こうやってご先祖様を想うことも供養の一つだと思いました。
先生ありがとさんヾ(。・ω・。)

投稿 びびり姫 | 2008/04/24 23:57

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