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2008/04/25

法華経に関する考察(続き)

法華経の趣旨を「布教と教団の維持が最終的な悟りである」と解釈すると、いろいろなことが見えてくる。

お釈迦さまの説いた教えは思想的哲学的に優れたものであるが、それだけでは後の世に残らない。実際に、インドで仏教が盛んだったのは紀元前3世紀にマウリア朝のアショカ王が仏教を保護した頃で、その後衰退に向かっている。印刷も通信も放送もない古代には、人から人への口伝えしか情報伝達の手段がなく、新興宗教である仏教には「人」が十分ではなかったのである(インドの伝統宗教はヒンズー教)。

お釈迦さまのすぐれた教えを残したいという人々にとって、これは非常に大きな問題であった。だから、法華経という仕掛けを使って、教団の拡大を図った。その仕掛けの一つが、法華経の中に頻繁に現れる、「修行者○○は、悟りの世界では△△となり、永遠の存在となるだろう」的な教団内における地位の保証である。

これはさきのオウム真理教において、「○○をマイトレーヤ正大師とする」「△△を科学技術大臣とする」というように、教団への寄与を教団内の地位の向上で評価したやり方と同じものである。そして、法華経を重視する教団は中国そして日本へと伝来した。いま世界で仏教徒の多い国は日本とタイであり、インド周辺ではわずかにチベットくらいにしか残っていないのである。

もう一つの仕掛けが、昨日述べた観音さまの登場である。法華経において観世音菩薩は、人々の願いを世界のどこにいても聞き届け、実現させる仏様として描かれている。まさに現世利益である。それまでの経典では来世における幸福や心の平安を実現させる仏様はあっても、そのものずばり現世において願いをかなえる仏様はなかったはずである。

今も昔も普通一般の人々の関心は、哲学的な悟りよりも、いま目の前にある願いをかなえてほしい、災難から逃れるように助けてほしいというものであろう。その意味で法華経は、より人々の本音に応える形で、お釈迦さまの教えを再構成した、ということになるだろう。もちろん、仏教という教団により多くの人を取り込むために、である。

さて、その法華経の中に「これはどうか」という内容が実は含まれている。法華経の内容は、お釈迦さまが「善男子善女人」の前で述べたことになっているのだが、にもかかわらずその中に、「悟りの世界には女人がいない」と、はっきりと書かれているのである。

じゃあ女の人はどうなるかというと、法華経に書いてあるのは、悟りを開いた女性修行者が「みんなの目の前で女性の体の特徴がなくなり、男性の体となった」のである。正直、これが悟りの世界であるならばちょっとご遠慮申し上げたい。私はやっぱり、女性がいた方がうれしい。

日本仏教史において最大の女好きといえば親鸞上人ということになるが(僧侶として初めて正式に妻帯した)、その親鸞上人が法華経を選ばず、阿弥陀如来の浄土三部経を選んだのは、案外このへんに理由があったのかもしれない。(完)

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コメント

小さい頃、毎朝神棚を掃除していましたが
生理の時は触ってはいけないと母に教えられました
理由は不浄だから...とだけ聞かされていました。

そんな事よりTパ先生と宗教について話しながら焼肉食べた事を思い出しました(@_@;)

投稿 びびり姫 | 2008/04/25 07:52

>> びびり姫さま

コメントありがとうございます。おかげさまで、昨日・今日はあまりアクセスがないだろうと思っていたのですが、普段以上に皆様に読んでいただいていてうれしいです。

> そんな事よりTパ先生と宗教について話しながら焼肉食べた事

いやいやお恥ずかしい限りです。私はびびり姫さまの美声をいまも鮮明に覚えております。

今週末は月曜日も休みをとって4連休なのですが、特に予定もなくのんびりするつもりです。庭の新緑、白樺、ひめしゃら、かつらなどが日に日にあざやかになってきて、いまパソコンを打っている目の前に雀さんが歩いているのが見えます。

びびちゃんの新居の方も順調でしょうか。ブログ楽しみに待っています。ではでは。

投稿 TAIPA | 2008/04/26 07:29

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