隋書東夷伝(9) ~常識で考える日本古代史58
4.2. 隋書に書かれていること
前回までのあらすじ
隋書東夷伝の中にある倭国の記事は大きく四つの節に分かれている。第二節では倭国は男王とその弟が統治しており、服装・装飾品・武器等が時代を追うごとに整ってきていることが述べられている。
続く第三節では、倭国の風俗について述べられているが、300年前の魏志倭人伝と共通するところと、かなり様子が違っているところがある。ここに書かれていることは、「日本列島のどこに」隋の使者が来たのかを推理する有力な材料となる。
倭国の刑について述べると、殺人強盗を行ったものは死罪となる。他人の物を盗むと賠償しなければならず、賠償できない者は奴隷となる。以下、罪の軽重に応じて、流罪や杖(たたき)の刑がある。取調べにおいては、膝に木を挟んだり、首に弓の弦をあてる。あるいは沸騰した湯の中の小石を取らせたり、甕の中に入れた蛇を取らせる。無実であれば無事であるはずだからだ。倭国は争いも盗賊も少ない。
倭国の警察・治安についての記事である。倭国の治安が優れていることは魏志倭人伝にも述べられていたことであるが、隋書でも同様である。取調べにおいて、「沸騰した湯に手を入れて火傷しなければ無実」というのは、日本書紀において盟神探湯(くかたち)と呼ばれる神事である。
日本書紀で盟神探湯は、どちらかというと民事の争いや氏姓の正誤を証明するために行われるが、隋書の記事ではむしろ刑事において用いられるニュアンスである。物理的にいって、湯の中に手を入れればほとんどの場合は火傷するから、疑われたら有罪ということである。洋の東西を問わず、近代以前には裁判がないので、そういうケースが多かっただろう。
楽器には五弦の琵琶、琴、笛がある。男も女も多くの人が顔や全身にいれずみをしており、水に潜って魚を捕る。かつては文字がなく、木に刻んだり縄の結び目を文字の代わりにしていたが、仏教が百済から伝わると、仏典を通じて文字を知った。倭人は占いや巫女のお告げを信じる。正月には射的をして遊び酒を飲む。節句も中国と同様である。碁やすごろく、ばくちが好きである。
この段落でも魏志倭人伝と同じく、倭人のいれずみについて述べられている。併せて、そのいれずみが主産業である漁業に由来することも述べられている。もし、この時点で倭王の使者が大和=奈良県から来ているのであれば、海のない大和でなぜこのような表現になるのだろうか。
つまり、この時点で隋が認識していた倭国というのは、やはり海の間近にある地域=九州北部のことである可能性が大きい。そして、この時代でも多くの人がいれずみをしていたのであれば、そのことが日本書紀などに書かれていないのは不自然である。つまり、日本書紀の書かれた地域と、隋の使者が訪問した地域は違うということになる。
気候は温暖であり、草木は冬でも青々としている。土地は肥沃であるが、海が多く陸地は少ない。鳥の首を環で繋いで魚を捕らせる漁法があり、一日に百尾以上を捕えるという。まな板はなく、樫の葉の上で調理する。倭人の性格は温厚で、おくゆかしい。
ここでも再び倭国=大和と考えるのは難しい記事が続く。魏志倭人伝のところで考察したように、大和はけっして冬でも草木が青いというほど温暖ではないし、そもそも内陸部である。そして、仮に隋の使いが九州から大和まで日本列島を横断したとしたら、果たして「海が多く陸地は少ない」という感想となるかどうか。
今日の鵜飼いのような漁法があるのは面白い。そして、第三節の後半部分では、さらに隋使が訪れたのは九州としか思えない記事が続く。(この項続く)
注.隋書のテキストはhttp://www.hoolulu.com/zh の二十五史・繁体中文を使用しています。
p.s.「常識で考える日本古代史」のバックナンバーはこちら。
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