2008/04/30

下野薬師寺跡と付近の古墳群

今年のGW前半はどこに行く予定もなかったのだが、山口補選の結果にもかかわらずガソリンの値上げが確実な情勢なので、遠出するとしたらいまのうちにしておきたい。というわけで、28日の月曜日は栃木県までドライブしてきた。

わが家から利根川を渡ると茨城県利根町、そのとなりが取手市である。ここから「下妻物語」で有名になった関東鉄道に沿って、国道294号線を北上する。結城市付近まで行ったら、今度は自治医大方面へ向けて西へ向かう。のどかな田園風景の中、細い道路を入ったところに下野薬師寺跡(しもつけ・やくしじあと)がある。

下野薬師寺は、奈良時代に全国に3つあった戒壇(僧侶の資格検定所)の一つである。唐から苦節十年の後やっと日本に到着した鑑真和上は、754年に平城京・東大寺に日本で初めての戒壇を設立した。一つだけでは足りないので、次いで大宰府観世音寺とここ下野薬師寺にも設立し、この3つが「天下の三戒壇」と呼ばれたのである。

当時の僧侶というと、現在の僧侶にプラスして、大学の教養課程と、医師の国家試験と、司法試験を加えたくらいの教養人だから、イメージ的にはむしろ、東京大学、京都大学、九州大学にあたると考えていいかもしれない。

そして下野薬師寺が有名なのは、なんといっても弓削道鏡の事件によるところが大きい。天武天皇系統では最後の天皇となった称徳天皇が、皇位を太政大臣法王の道鏡に譲ると主張したが、これは和気清麻呂による宇佐八幡の神託で拒絶されることとなった。称徳天皇はその後ほどなくして病死し、道鏡はここ下野薬師寺別当として左遷されたのである。

ただ左遷といっても、現在でいうと総理大臣が失脚して学界に戻り京都大学学長になったということだから、それほど奇異なものではないだろう。また、すでに70歳と当時では高齢な道鏡が、地方で僧侶の資格検定を行うことを苦にしたとはあまり思えない。そして律令体制の崩壊とともに下野薬師寺も廃寺となり、いまは礎石や戒壇跡(江戸時代に再建という)に当時をしのぶよすがを残すのみである。

また、下野薬師寺跡周辺には数十にのぼる古墳群が残されている。これらの古墳は5世紀から6世紀にかけて作られたものとされており、大和朝廷に匹敵する有力な政権がこの地に存在したことを示している。

こうした遺跡は、現在は工業団地の片隅や道路際にある。奈良県にあって「宮内庁管理」であればとても近づくことはできないが、国指定史跡であっても県の教育委員会管理だといくらでも歩いたり見たりできるのはうれしい。はるか千数百年年前に思いをはせた一日でした(花粉症の発作が出ましたが)。

Imgp0480 下野薬師寺跡。建物は回廊の復元予想。平城京跡や飛鳥板葺宮跡によく似ています。

Imgp0486 車塚古墳と石室(拡大可)。石室は凝灰岩(ぎょうかいがん)でできていて、大谷(おおや)あたりから川を運んできたともいわれています。

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2008/04/21

成田新高速・北千葉道路その後

正月休みに工事の様子を見てきた成田新高速・北千葉道路、その後どうなっているのだろうか。ちょうど大桜の時期でもあるので、しばらくぶりに行ってみた。

先々週から関東地方は雨の日が多く、台風並みの低気圧が2度にわたってやってきた。19日の土曜日は2回目の低気圧が金曜日中大雨を降らせたので、田舎道はまだ水たまりがそこら中にできており、舗装されていない土の部分は靴が沈むほどのぬかるみである。

今回は天気が良くないので、軽に乗って工事現場を見下ろす高台へ。すると、正月には田んぼや草むらを貫いて広く土の筋があるだけだったのに、鉄筋が積み上がった大きな構造物ができている。おそらくは、上に鉄道を走らせるためのコンクリートの土台である。

成田新高速鉄道などのホームページをみると、高架部分を作って上に鉄道、下に道路を作る地区が多いようである。前にも書いたように北総鉄道~成田新高速鉄道はいわゆる新幹線規格で、カーブが緩く踏切が全くない。鉄道と道路を同一平面に作ってしまうと踏切が必要となるので、こういう形になるのであった。

そして180度振り返った逆側は、正月にはほとんど何もなかったが、下の写真のように工事が進んでいる。ブルドーザーはじめ重機もかなりの数入っているのが見えた。そして、正月には入れたのに立入禁止になっているところもあって、前のように間近で撮影することはできなくなっていた。

ちなみに、私が毎日通勤している北総鉄道部分でも、新鎌ヶ谷駅に続き小室駅でもホーム増設工事が完了し、成田空港まで直通電車が走る際に通過待ちをする態勢が整っている。開通が予定される2年後に向けて、いよいよ工事は本格化しているのであった。

p.s.前回の成田新高速・千葉北道路はこちら

Imgp0475 正月にはなかった巨大な鉄筋の構造物。高架部分を作るための土台部分(橋脚)と思われる。

Imgp0476 180度振り返った反対側。正月にはほとんど何もなかった場所である。

Imgp0478 大雨が続き、天然記念物「吉高の大桜」も散ってしまいました。手前の畑に、花びらが見える。

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2008/03/18

マカオ・コロアネ島(完結編)

フランシスコ・ザビエル教会からさらに南へ進む。コロアネ小学校を過ぎて、通りの行き止まり、コロアネ・ビレッジの南端にあるのが譚公廟(たんこうびょう)である。ここには、ウィークデイの昼前だというのに、かなりの人が参詣に訪れていた。

道教の神々の中で、特に沿海部の人々の信仰を集めているのは天后(てんこう・ティンハウ)である。天后は道教の海の女神的存在であり、もともとは海難除けのまじないをしていたとされる媽祖と習合されて今日に至っている。香港の天后廟、マカオの媽閣廟(マコウミュウ・マカオ地名の元と考えられている)いずれもこの神を祀っている寺院である。

そしてもう一つ、道教の海の神様として信仰を集めているのが譚公(たんこう・タムクン)である。旧暦の4月8日には香港でもマカオでも譚公祭が開かれる。この譚公を祀った寺院の中でマカオ最大なのが、コロアネ島の譚公廟なのである。

媽閣廟(マコウミュウ)と同じく、渦巻き型や極太の線香が焚かれて周辺には煙と香が漂い、なぜか大きな石に年号やら何やらが書かれていることも共通である。何人もの人が、熱心にお祈りをささげている。後ろ側は小高い丘になっていて、その先は海になっているはずだ。国境警備の建物が建っていたが、ここには誰もいなかった。

譚公廟から裏通りを通ってもとの方向に戻る途中に、二つの小さな寺院がある。一つは天后古廟、もう一つが観音堂である。天后古廟は最近再建工事が行われたらしく、奉加帳のような石碑に、環宇旅遊(私のよく行くホテルの代理店)が大口の寄付をしたことが記されていた。観音堂は仏教寺院のはずなのだが、当然のように関帝(道教で親交されている三国時代の武将、関羽)の絵がかざられていた。

雑貨店や食料品店、八百屋などが並ぶマーケット街を通っていくと、最初に来た総統前広場に戻る。そのまま北に進んで5分くらい行くと、コロアネ・ビレッジ北端のコロアネ漁港である。

ここは、昔コロアネ島がタイパ島とつながっていなかった頃、マカオ半島までフェリーが往復していた港なのだそうである。現在は漁港として使われているらしく、周りには魚の干物を売っている店が2軒あった。

同じ干物とはいっても、熱海や伊東の匂いとは少し違う。日本だと干物にするのはあじやトビウオ、いわし、さんまといったひかりものが多いが、ここの干物はイカと、新巻鮭くらいの大きさの魚の干物(南なのでスズキかもしれない)が主体である。

いまやマカオといっても、カシノの中にいる限りラスベガスと区別が付かないようになりつつある。こうしたのどかな雰囲気が、少しでも長く残っていてほしいと思う。

Coloane4 コロアネ漁港と碇のモニュメント。右は干物のお店。

p.s.本編HPに他の紀行文もたくさんあります。こちらから、My Favorite Placeへ。

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2008/03/12

マカオ・コロアネ島(続き)

バスターミナルのある総統前広場からさらに直進すると、50メートルも行かない間に海に行き着く。向こう岸に見えるのは、中国・珠海市である。ここから左右(方角でいうと南北)に広がるのが、コロアネ・ビレッジである。ゆっくり歩いても1回り30分もかからない小さな村であるが、なんともいえない雰囲気がある。

そして、家々はあまりきれいとは言えないのに、止まっている車はほとんど新車であるあたり、マカオの好景気の影響が及んでいるということなのだろう。

突き当たりを左(南)に向かう。コロアネ・ビレッジには海岸沿いを南北に通っている大通りと、そこからやや内陸に入ったところを平行に通っている裏通りしかない。だからまず対岸の中国側を見ながら大通りを南下するのだが、総統前広場から4、5分もかからない近くに、有名なフランシスコ・ザビエル教会がある。まっ黄色の目立つ外観をしているので、すぐに分かる。

日本のマカオ観光案内では、必ずといっていいほど載っている教会だが、あまりひと気はない。周辺には観光客目当てと思われる飲食店や土産物店と思われる店(とはいっても、屋台と大して変わらない)が並んでいるが、どこも開いていない。というよりも、しばらく前からやっていないのではないかという雰囲気である。

建物の中に入ってみる。おごそかに教会音楽が流れていて、左右に何列かずつ並んでいるあまり広くはない礼拝室と、もう一つ資料室のような部屋がある。資料室には、アジアにキリスト教が布教されてきた歴史についての展示物があり、英語と中国語の説明が書かれていた。

ご存知のようにフランシスコ・ザビエルは16世紀のカトリックの宣教師で、日本にキリスト教を伝えたことで有名である。もともとはポルトガル王の求めにより当時ポルトガル領であったインド西岸のゴアに派遣されていた。その後、中国そして日本へと布教していったのであるが、日本への出発点となったのが当時やはりポルトガルの拠点であった広州である。

その後マカオがポルトガル領になったことにより、ザビエルの名を冠した教会がこの地に残されることとなったものであろう。とはいえ、マカオの人々にキリスト教が根付いているかというと、どうやらそうではなさそうだ。実はコロアネ・ビレッジには他にもいくつかの宗教施設があるのだが、にぎやかだったのはむしろそちらの方だったのである。(この項続く)

Coloane3

フランシスコ・ザビエル教会。マカオらしいパステルカラーで、建物の中はそれほど広くはない。

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2008/03/11

マカオ・コロアネ島

アジアのラスベガスを目指してマカオ中が建設ラッシュとなり、かつてののどかなマカオはほとんど見ることができない。その中でかつての雰囲気をわずかに残しているのが、コロアネ島である。今回はこの「最後の楽園」とも言うべきコロアネ島にも足を伸ばしてみた。

かつてマカオは、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島の3つの地域に分かれていた。マカオ半島は中国と地続きでポルトガルのアジア進出以来古い歴史を持つ貿易港であり、一方でタイパ島、コロアネ島は文字通り島であった。マカオ半島は狭い地域に多くの建物と人々がひしめいており、カシノの多くが集中していたのに対し、タイパ・コロアネ島はリゾート地として、ホテルやゴルフ場、競馬場、運動場、海岸、植物園などが点在していた。

しかし、1990年代に入り、マカオの中国返還、さらに海外資本へのカシノ自由化が起こることにより、こうした状況は大きく変わってきた。マカオ半島には、再開発できる土地はほとんどない。だからそれ以降に大規模な開発を行うためには、マカオ半島以外の地域に土地を求める他はなくなってしまったのである。

具体的には、タイパ島と、タイパ・コロアネ間の埋立地であるコタイ地区である。タイパ島は住宅地として、コタイ地区は自由化により進出した欧米・香港資本のカシノ&ホテル用地として、大規模な開発が行われてきたし、さらに今後も行われる。そういうことで現在では、タイパ島とコロアネ島はとうとう地続きになってしまった。

それでも、ゴルフ場やサーキットを越えてコロアネ島の中心部へ向かう人はそれほど多くはない。大体、バスだってそれほど本数走っている訳ではないのだ。そう、ここから先がマカオの「最後の楽園」なのである。

サーキットを越えて、左に採石場、右に工業地帯を見ながらしばらく進むと、前にも書いたことがある「媽祖文化村」への入口になる。構わず先に進むと、坂を登って下ったあたりにコロアネ村の中心部が見えてくる。バスターミナルのあるロータリーが「恩尼斯総統前地(エネス総統前広場)」である。マカオ半島中心部からここまでタクシーで来ると、大体70HK$(1000円)くらいになる。(この項続く)

Coloane2 コロアネ島・総統前広場あたり。バスの向こう側がロータリー(広場)となっている。

p.s.本編HPに他の紀行文もたくさんあります。こちらへ。

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2008/03/06

08年春のマカオ(続き)

2月25日朝、前日サンズで負けたためか、それともアフリカンチキンを一人で食べたためか、胃がもたれて仕方がない。いつも海外遠征の際には用意する大正漢方胃腸薬を飲んで、出陣である。

今回のマカオはやけに肌寒かった。天気予報では最高気温19度、最低気温11度、風があってもう少し寒いように感じたくらいで、上着なしではつらい陽気であった。朝一番はフェリーターミナルまで歩き、シャトルバスで昨日に続いてMGMグランドへ。

月曜日の朝のせいか、前日以上にひと気がない。前日と同じくディーラーとサシでバカラ。しかし今回はなかなか浮上できない。とにかくベットアップすると逆の目が出てしまう。ずいぶんと絞ったので負けないうちに引き上げる。午前中はここからコロアネ島に行ってつかの間の観光。これはまた別の機会に書こうと思います。

昼からはコタイのベネチアン・マカオへ。コタイというのはタイパ島とコロアネ島の間の埋立地で、ここがまさに今カシノホテルの建設ラッシュとなっている。工事中のところを歩いて行ったのだが、ラスベガスであればストリップにあたるタイパ・コロアネ大通りは両側とも工事中の塀が立てられてしまっている。

上まで立ち上がっているものだけ数えても、大通りの西側に1棟、東側に3棟。ベネチアンやMGMと同じスピードであれば、おそらく来年前半くらいにはオープンしそうな勢いである。どこがどこだか分からないが、塀に書かれている名前を見ると、サンズとかギャラクシーとか、マリオットとかが建つようだし、日本のオークラ系のホテルもあるらしい。ただでさえ供給過剰気味なのに、これ以上作ってどうするのだろうか、と思わないでもない。

昼食はベネチアンホテルへ。ここにはフードコートがあって、およそ100パタカ(≒100HK$≒1500円)以内で食べることができる。日本のお好み焼きやうどんから始まって中華料理、マカオ料理、タイ料理、パスタやステーキまで、世界各国のファーストフードが20店舗ほどあり、中央に共通のいすとテーブルがある。ラスベガスというより、家の近所のショッピングセンターを思い出してしまった。

ベネチアンカシノはともかく広い。バカラテーブルが何百台あるのか数える気にならないくらいである。おそらくマカオ中のカシノの中で、ワンフロアの面積としては最大ではなかろうか。ただ、惜しむらくは他のカシノと判で押したようにゲームの種類が一緒である。ここはファンタンがあって実際にやっていることが特色だが、ミニマムが500HK$とえらく高い。

時間があるので300HK$ミニマムの三公バカラに座る。しばらくやったのだが6以下のカードしかこない。ピクチャー、8と来るともう一枚は必ず3。たまたま親が0とか1とか2を繰り返してくれたので致命傷にはならなかったが、じわじわとチップを減らして席を立つ。どうにもしまらない。

次はスロットマシンへ。絵柄がエビ、カニ、魚であるのはマカオらしいが、よく見ると当たりの枚数が5から50くらいで、あとはいきなり4000である。私にとってスロットマシンは、200~500くらいの中当りがあるから楽しく時間がつぶせるので、こういう一攫千金か全部すってしまうかというのは面白くないのであった。

そんなこんなで夕方までベネチアンにいて、タクシーでホテルに戻る。結局この日はたいして増減のないまま寝てしまった。

最後は出発日の早朝のカーサリアルで、やはりディーラーとサシでのバカラ。シューの初めからプレイヤー3目(1回外し)バンカー4目(1回外し)プレイヤー4目という立派な罫線を起こしたのだが、ここで中国人のみなさんに見つかってしまった。おいおい、セームドライバーじゃあ・・・と思っている間もなく、絞ることもできなくなるし変な罫線となってしまった。

最後はナチュラル8を起こしたら相手も8でタイ、ナチュラル9を起こしたら相手も9でタイとつらい展開が続き、続いて2連敗したところでゲームセット。まあ、ホテル代とお土産代くらいにはプラスになったので、いい遠征でしたということで再び広州へと向かったのでありました。

Kotai コタイ地区に建設中の新しいカシノ&ホテル

Venetian_food ベネチアンホテルのフードコート。カシノの上がショッピングセンターになっています。

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2008/03/05

08年春のマカオ

2月24日日曜日、午前9時すぎの珠海・拱北(ゴンベイ)関門は、マカオに入国しようという人の群れでごった返していた。2列しかない外国人出国レーンを通過するのに小一時間かかり、結局マカオ側に出たのは10時半近くなってからだった。

バスで中心街へ向かい、さっそく宿を手配する。ピークである土曜日は過ぎたものの、あいかわらず高い。ちょっと考えて、前回と同様に皇家金堡(カーサリアル)を620HK$×2泊押さえた。何しろ交通の便がいい。新世紀だったらもう少し安いのだが、あそこだとタクシーをつかまえるのもきついし歩いて移動できる範囲も狭い。

今回の最初の目的地は12月にオープンしたばかりのMGMグランド・マカオ。一回りした後、さっそくディーラーが一人で手持ち無沙汰にしているバカラ200HK$ミニマムへ。3000バイインで、最初から1000ずつ行こうと固く決意していたのだが、いざとなるとびびって500からスタート。おっ、いきなりナチュラル8である。全部入れればよかった。

実はこの日もう一つ決意していたのは、プレイヤーで張ろうということであった。バンカーに賭けていて、ディーラーが無雑作に開いたプレイヤーが9だったりすると、途端にテンションが落ちる。プレイヤーであれば絞っている時点で相手のカードは分からない。とにかく「絞り禁断症状」の出ている私としては、1ハンドでも多く気合を入れて絞りたいのである。

次の手もプレイヤー。一手バンカーをはさんで、またプレイヤーが3連勝。よしよし、いい具合である。このままツラ!と思っていたら、このすいているカシノでわざわざ私が一人で絞っているテーブルに新たな客が来た。そして罫線ディスプレイを見て、こともなげにバンカーにチップを置く。私はもちろんプレイヤーである。

プレイヤーに2枚のカード、気合を入れて絞ると、すぐフレーム。もう一枚はと見ると、またフレーム。バカラ(0)である。相手はこともなげに8を起こしてバンカーウィン。せっかく一人でツラにしようと思ったのに、いざというところでこれである。その後は絞ったり絞れなかったりで、ツラになりそうもない。最後2ハンド連敗したところで、若干プラスで席を立つ。あせることはない。遠征はまだ始まったばかりだ。

MGMを出て、歩いてすぐのグランドリスボアへ。ここには最近、ポーカーのライブテーブルができたという情報であったが、確かに4階の一角にロープで仕切られたポーカースペースがあった。7、8テーブルあったかと思うが、開いていたのは2つ。ともに20-40ノーリミットで、満卓となっていた。

テーブルそのものはバカラと同じで、それぞれの張るスペースが縦に線で区切られていた。だからちょっとせまい。20-40というと、米ドルにすると3-6。その後に書いてある数字は2000だったのでミニマムバイインと理解したのだが、もしかするとマキシマムかもしれない。ノーリミットだからリバーになると100HK$チップが積み重ねられるが、見ていると結構みんなターン、リバーまで見に行っているようだった。だとしたら、いずれにしろ2000くらいはあっという間に使ってしまいそうだ。

ここは見学だけで参加せず、歩いてファラオパレス、さらにバスに乗ってホテルまで戻る。夕方は南湾にあるマカオ料理のヘンリーズアフリカンチキンでワインを楽しんだ後、タクシーでサンズに戻る。ここでひどい日本人プレイヤーに出くわしてしまった。

彼ら(3人)の方が先に来ていて、私はサードベースへ。シャッフルマシンだが、ディーラーのオープンカードが4、6、2、5といった具合でなかなかいい流れである。ところが、上の3人ときたら、絵札2枚のスプリットはともかく、相手がローカードなのに14、15でヒットするなどめちゃくちゃである。

最後は、ディーラーがTなのに、何を思ったか7でステイである。私は8と5で13。ディーラーもあきれて「どうします?」と私のアクションを促すが、まさか引かない訳にはいかない。そして当然のように出たのはピクチャーである。

こんなプレイヤーのいるテーブルではやっていられないが、逆に言うとマカオでもこういうプレイが許されるようになったのである。昔のようにテーブルが少なくてバックベットされている状況だったら、きっとただではすまなかっただろう。いずれにせよ、こういう連中に話しかけなくてよかったと思った。

もちろんテーブルを替わったのだが、今度はディーラーのオープンカードがずっとピクチャーかA。そんなぐあいで、昼のMGMで浮いた分を夜のサンズで溶かしてしまい、がっくり肩を落としてカーサリアルまで歩いて帰ったのでありました。(この項続く)

Mgmhall MGMグランド・マカオの正面ホール。大三巴オブジェの下の部分はステージになっています。カシノはここから右へ。

Henri マカオ料理レストランの老舗ヘンリーズギャレー(美心亨利)のテーブルと前掛け。ポルトガルの白も冷えてます。アフリカン・チキン、カニ肉を甲羅に詰めて揚げたコロッケ、サラダ、スープでチップ込み500HK$。

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2008/02/28

珠海中葯谷(続き)

さて、タクシーの時間待ちがあったり渋滞があったりして、中葯谷に着いたのは7時半近くになってからだった。デポジットRMB\500を預けると、部屋に案内される。例のマッサージフロア「国医養生館」の上、3階が客室となっており、約20の客室がある。1ベットのVIPルームに通されるが、普通料金のため、サウナとスチームは使ったら有料ということである。

中国はあまりトイレがきれいでないところが多い。国医養生館のトイレも水洗ではあるのだが床面に四角く穴が開いている奴なので、客室もちょっと心配したのだが、普通の洋式トイレだったのでほっとした。洗面所もきれいだし、アメニティグッズもそろっている。ちゃんと扉のついたシャワールームもあった。

荷物を置き、部屋に置いてある作務衣に着替えて、まず食事である。昼に機内食を食べてから、8時間近く食べてないのでかなりお腹がすいた。ここには「葯膳館」という薬膳レストランがあるはずなのだが、時間が遅いためかあるはずの場所を見ても真っ暗である。仕方なく「珈琲庁」というところに入る。

メニューを持ってきたが、全部漢字である。アルコール類が書いてないので、「碑酒(ビール)はありますか?」と聞いたが、首を横に振る。健康テーマパークだからだろうか。メニューを見てもよく分からないので、RMB¥80ほどのコース料理をお願いするが、これもできないと言う。やれやれ。仕方がないので、鶏と野菜の炒め物らしきものと炒飯をオーダーする。

出されたお湯を飲みながら、料理を待つ。最初に来たのは鶏と野菜の炒め物、のはずだったのだが、何かやたら鶏が小さくきざんである。食べると、細く小さい骨のようなものがある。味は淡白でくせがないが、鶏のモモだったらあるはずの皮や脂がなく、これは断じて鶏ではない。そう。私がオーダーしたのはおそらく田鶏(カエル)なのであった。

まあとにかく炒飯はおいしかったので、お腹がふくれたところでお風呂へ。ここのお風呂は男女兼用で、水着着用であることは事前に調べてあった。なければ共用のものを貸してくれるのだが、もちろん自分のものを用意してある。更衣室を通って室内にプールと4、5の内風呂、外には大きなプールと露天風呂が10以上あるが、外は真っ暗でしかも大雨なのであきらめる。

内風呂は近づくだけですっぱい匂いがする醋湯や、茶湯、泡湯などがあるけれども、どれもぬるくて物足りない。唯一いい湯加減だったのは散寒湯というお風呂で、いろいろと薬草が入っていそうだったが、中国人にとっては熱すぎるせいか誰も入っていなかった。しばらくあたたまるが、海パン着用のせいか今一歩リラックスしない。

更衣室で再び作務衣に着替えて、いよいよ国医養生館でマッサージである。今回は「中医特色足療」と「中医特色四点全身療法」を1小時(1時間)ずつ、じっくりと体をほぐしてもらう。2時間でRMB\176、日本円で二千数百円なのだから格安以外に言うべき言葉がない。ほとんどひと気がなかった館内も、10時半すぎに部屋に戻る時にはマッサージ中の人が十数人いて結構にぎわっていた。

今回じっくり見て思ったのだが、この宿のコンセプトはどうみても日本の温泉宿である。ロゴマークはひらがなの「ゆ」だし、本格的なマッサージや薬膳に特色をおくというのも、日本人の発想に近い。そして名称の「珠海和田度暇村酒店」(度暇村は休暇村、酒店はホテルの意味。HPに飛べます)。和田というからには、ここはもともとヤオハンが出資してできたのかもしれない、と思ったりした。

Zhcmv2 中葯谷・和田酒店の客室。覚悟していたより、かなりきれいで驚きました。

Zhcmv3 翌朝になっても、まだ雨降り。屋根のようなものがみえるあたりが、露天風呂になっているらしいです。

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2008/02/27

珠海中葯谷

今年初めての海外は、なじみのマカオである。今回も広州便で、広州から珠海までは機場快線である。100km以上運んでくれるのに、片道RMB¥90(帰りはRMB¥81)、約1,400円くらいとお値打ちのお値段だが、現地仕様のバスなのでちょっと覚悟が必要である。着くまでの約3時間、トイレもなければトイレ休憩もないのだ。

3時10分発予定のバスは、定員一杯押し込んで3時半に空港を出る。このあたりすでに現地仕様である。空港を出たときには西日がまぶしかったのに、珠海に近づくにつれて雨が強く降ってきた。拱北(ゴンベイ)に着いたのはちょうど6時。到着場所がいつもと違い関門が正面に見える。帰りに気をつけなければ。

さて、土曜から火曜まで3泊4日の遠征だが、最近、星期六(土曜)のマカオのホテルは異常な高値が続いている。ほとんどすべてのホテルがHK$1000以上しているのである。つい何年か前まで、土曜日だって400~500で泊まっていたことを思うと、おとなしく払う気にはとてもならない。

だから今回はひと工夫を試みることにした。とりあえず、この道の達人であるさまよい人さんに教えていただいて何度か来たことがある、珠海の誇るマッサージ・テーマパーク中葯谷(ジョンヤオグウ)格安のマッサージでリラックスしてから、真夜中にマカオ入りしてそのまま徹夜で打ちまくろうと思ったのである。

そんなことを考えながらバスから降りて、すぐ近くの地下商店街入口からタクシー乗り場を目指して進んでいくと、ちょうど目の前に代理店がある。ふとみると、「珠海和田度暇村酒店 平日300 休日400」と書いてあるではないか。珠海和田度暇村酒店といえば中葯谷の正式名である。

確かホームページには、平日RMB¥880、休日は15%増と書いてあったはずだが、マカオと同様、珠海も公表価格と代理店価格には相当の差があるようであった。RMB¥400で泊まれるなら、全然お得だし、マッサージを受けてそのまま休めるのは何よりである。という訳で、急きょ予定を変更して中葯谷に泊まることにした。(この項続く)

注.現在、1RMB\=約16円、1HK$=約15円。人民元の方が1割ほど高い。

Zhcmv 中葯谷夜景。英語名をChinese Medicine Valleyというそうです。

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2008/02/12

南房総・館山

連休の中日は奥さんのリクエストで南房総・館山へ。

家から館山までは100km余りある。館山から伊豆大島までは50kmくらいしかないから、そちらの方がずいぶん近い。逆に家から100km北は宇都宮あたりになってしまうので、同じ千葉県とはいってもかなり離れている。その分気候も違って、館山あたりはかなり暖かい。だからこの季節でも野外で花摘み(ポピーとか)ができるのである。

朝ご飯を食べずに出て、9時過ぎに内房に着く。朝昼兼の食事を新鮮な魚でという企画である。最近全線開通した高速館山道を下りて一般道へ。マスコミ等で有名なBという店に行ったのだが、ここがひどかった。

店に入るなり150人位入る別棟に通されて、「○○番テーブルにお座りくださーい」と指定される。注文しようとすると、「順番にうかがいまーす」と言ったっきり、15分たっても20分たってもオーダーを取りに来ない。その間にも次々に人が入ってきて、その別棟は一杯になってしまったが、まだ相席で押し込む。

これでオーダーの順番が分かるのかなと見ていたら、結局部屋を全部一杯にしてから席順に聞いているので、長く待っていた人もいま来た人も関係なしである。そのうえオーダーの受け答えを聞いていると、「煮物は30分かかりますが、どうしますか?」とか言っている。30分待ってまだオーダーもできてないのに、この先も待たされたらたまらないのでこの店はやめにした。

いい方の店はここから10分ほど北に戻った漁師料理「かなや」。入ると東京湾が一望できるすごい景色である。テーブルも椅子もきれいでちゃんとメニューが置いてあり、食事処らしく禁煙、しかも従業員の態度もとてもいい。お刺身の定食と大アナゴの天ぷらを頼んだら、ほどなく新鮮なお刺身と揚げたての天ぷらが到着した。冷たいものは冷たく温かいものは温かく、まさにあるべき姿の海の幸を堪能したのでありました。

館山市内に入り、まず千葉県立安房(あわ)博物館へ。ここは、例の「さかなくん」が客員研究員となっている博物館で、漁業に関する展示や資料がたくさんある。また、千葉に何校かある水産高校(残念なことに、今年度で統廃合されることになってしまったが)の実習施設でもあり、房総の漁業の歴史と「鮑(あわび)」について勉強する。

さらに海岸沿いに野島崎までドライブし、太平洋を見てからアジやイワシの干物をいっぱい買う。それからイチゴ狩りに行って採りたてのジューシーなイチゴを思う存分食べてビタミンCを補給していたら、夕方になってしまった。

ぽかぽかととっても暖かな一日でした。

Tateyama1_ ここはサイパンではありません。館山です。(車の中からなので少し反射してすみません)

Tateyama2_ 「かなや」のお刺身定食と大アナゴの天ぷら。おいしいです。

Tateyama6_ イチゴ食べ放題。おいしさをお伝えできないのが残念です。

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2007/12/04

ステープルズ・センターへ(完結編)

まず入場したのはリカルド・マヨルガ。ニカラグア出身の34歳、オーソドックス(右構え)のファイターである。2001年にアンドリュー・”シックス・ヘッド”・ルイスをKOしてWBA世界ウェルター級チャンピオンとなり、後にWBC世界スーパーウェルター級も制した2階級王者である。

しかし、その実績よりも彼を有名にしたのは、フェリックス・トリニダード、オスカー・デラホーヤの両スーパースターを相手に悪役キャラで渡り合い、結局KO負けしたものの結構いい勝負をしたことである。今回もバルガス相手ということで、盛大なブーイングで迎えられながら全然気にしないでパフォーマンスしているところはさすがである。

次いでフェルナンド・バルガス入場。肩車された2人の息子が掲げるチャンピオンベルトに先導され、場内全員起立のスタンディング・オベーションに迎えられてのリングインである。ヒスパニック系の米国人で29歳。

1998年に”ヨリ・ボーイ”・カンパスをKOしてIBF世界スーパーウェルター級チャンピオン、このタイトルはトリニダードに奪われるが、2001年にホセ・”シバタ”・フローレスをKOしてWBAの同級王者となった。このタイトルは今度はデラホーヤに取られている。やはりオーソドックスのファイター、ということはまともな打ち合いになる可能性がかなり大きい。

バルガス入場から試合前のセレモニーになっても、みんな立ったままである。私の後ろの席の奴が”Sit down!Sit down!”とうるさいので座るが、前が立ったままなので見辛くて仕方がない。こういうファイトは、立って見るべきものだと思うのだか・・・。

ゴングが鳴って試合開始。ともに164ポンドと主戦場のスーパーウェルターより10ポンド(約4.5kg)も重い。しかし、マヨルガがそのウェイトでもシェイプアップされたいい体をしているのに対し、バルガスの腹回りはいかにも太い。もともと、スーパーウェルターでやっていた時も、バルガスの腹回りは決して引き締まってはいなかったのに、10ポンド上ということでさらに太めに見える。

予想されたように、マヨルガがいきなり大振りの左右フックで襲い掛かる。1年以上振りの試合とは思えないくらい、踏み込みは鋭く動きがいい。バルガスはなんとかまともにもらわずに避けるが、何度目かの接近の際にはローブローを放ってマヨルガの前進を止めようとする。マヨルガペースである。

残り1分を回ったあたりで、バルガスが後退しバランスを崩す。すかさずマヨルガが頭を押さえてはたき込み、バルガスが膝をつく。これをレフェリーがダウンと判定し、場内大ブーイングである。もちろんダメージはない。再び全員起立で場内大興奮だが、大してまともなパンチはお互いにもらっていないように見えた。

こうして2Rまでマヨルガの前進が続いたが、さすがにそれほどの体力はないので、3Rから5Rは逆にバルガスが前進。マヨルガはアゴが強いのが自慢で、ストレートをまともにもらってもひるまないのだが、効いていないとしてもポイントは相手に行ってしまう。バルガスのストレートがよく当たり、ペースはバルガスになる。

しかしマヨルガもなかなかの食わせ物である。世界タイトルもかかっておらず、一発勝負の性格が強いことから徹頭徹尾打ち合いに行くのかと思っていたら、6R以降作戦を変えてバルガスのボディを打ち始めた。完全に長期戦の構えである。バルガスは上に述べたように太め残りだったから、このマヨルガの作戦変更で急に手数が減る。6Rから8Rはマヨルガペース。

しかし大声援を受けたバルガス("メヒコ!""メヒコ!"の大コール。バルガスはいちおう米国籍)、9R、10Rと再び前進。多少疲れてきたマヨルガに連打を浴びせる。10R終わったところで、ラウンドの優劣は5対5、1Rのダウンを取られた分の1ポイントだけマヨルガ有利と思われるが、どうやら疲れているのはマヨルガ。残り2ラウンド、いよいよ面白くなりそうだ。

そして11R、前の2ラウンド休んでいたマヨルガが、機先を制して前進、右の大きなスイングを的中させる。面食らったバルガスだが、体制を立て直して逆に攻勢、今度はマヨルガが後退する。ラウンド終盤では、ともに打ち疲れたのか動きが鈍り、両者の距離が開いた。その瞬間、いきなりという感じでマヨルガが右ストレート。バルガスはすとん、と尻餅をついた。決定的なダウンである。

12Rはマヨルガが打ち合いを避け、完全にカウンター狙い。そのまま試合終了。私の採点では114-112マヨルガだったが、ジャッジも一人が114-112、あとの二人は115-111、113-113と、2-0のマジョリティ・デシジョンでマヨルガの判定勝ちという結果となった。

この結果は、両者の実力差というよりも、引退試合として最後まで打ち合いたかったバルガスと、まだまだビッグマッチのチャンスがあるので負けたくないマヨルガの、勝負に対する執着心の差だったような気がする。そうでなければ、マヨルガのボディ狙いなど、そうそう見られるものではない。

試合が終わったのは午後10時過ぎ。帰りは地下鉄を探そうかとも思っていたのだが、時間も遅いしそもそもどこが地下鉄の入口なのか分からなかったので、はす向かいにあるホリディインまで歩き、そこでタクシーを拾った。あんなにみんなビールを飲んでいたのに、なぜか駐車場のビルの方に歩いていくのがちょっと不思議なステイプルズセンターだった。(完)

Imgp0203_ 勝利の雄たけびを上げるマヨルガ。

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2007/12/03

ステープルズ・センターへ(さらに続き)

さて、チャンピオンのシントロンは28勝のうち26がKO、つまり2試合を除きすべての試合をKOで決着させている強打者である。唯一の負けはWBOの王座統一戦で、正チャンピオンだったアントニオ・マルガリトに敗れただけ。メイウェザーですら対戦を避けたマルガリトに負けたのは、ある意味仕方がない。

私がシントロンを買うのは、彼がストレートを主武器とする強打者だからだ。かつての統一世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスもそうだったが、ストレートの強い選手は好きである。フックを主武器とする強打者は相手に近づかなければならないが、ストレートなら相手の射程外から一気に決められるからである。

1Rのゴングが鳴り、いきなりシントロンの攻勢。長い右ストレートが2度3度と決まり、フェリシアーノの体が大きく飛ばされる。この分だと2、3Rで終わってしまいそうだ。そんな中で、列の真ん中に座っていたグループが、ラウンド途中で打ち合っているというのにビールを買いに席を立つ。

この連中はさっきからビールを再三おかわりしていて、500mlのプラスチックコップを一人5、6杯ずつ飲んでいるのだった。こうなると、通路側の席がかえってあだになる。いちいち席を立たなければならないからだ。「馬鹿野郎、終わっちまったらどうすんだよ」と思ったが、仕方がない。そもそも彼らが見たいのはメインのバルガスだけなのだ。

しかし案に相違して、試合は長引く。シントロンの長いストレートをかいくぐったフェリシアーノが、懐に入って接近戦を挑んだからである。こうなると、シントロンの長いリーチはかえって邪魔である。特にいいパンチをもらった訳ではないが、しつこく左右フックを浴びせるフェリシアーノから距離をとろうとするシントロンは、逃げているように見えなくもない。

くっつくフェリシアーノ、離れようとするシントロンの駆け引きのうちにラウンドは進み、両者かなり疲れてきた。特に、絶対有利だと言われながら倒せないシントロンは動きが鈍くなり、不利と予想されながら粘り場内の大歓声を受けるフェリシアーノは、さらに張り切って手を出し続ける。なんだかだるいファイトになり、シントロン有利ではあるが3ラウンド位はフェリシアーノに行ったかなという10Rでいきなり試合は大きく動いた。

それまで前進を続けてきたフェリシアーノが、シントロンの右を受けてこの試合初めて後退。それを見たシントロンが攻勢に出て左右の強打を連続して叩き込む。とにかく、シントロンは距離があれば強いのである。最後はガードが取れなくなったフェリシアーノを見て、レフェリーが割って入ってストップ。10Rで、シントロンのTKO勝ち。ダウンはしなかったが、明らかにストップのタイミングであった。

大苦戦後のKOがよっぽどうれしかったらしく、シントロンはリングに倒れこみパフォーマンス。おそらく、ブリッジをしようとしたのではないかと思うが(彼はレスリングの経験がある)、その途端、右手首を押さえて悶絶してしまった。どうやら、試合中か試合後かは分からないが拳を痛めたようで、すぐにトレーナーのエマニュエル・スチュアート(こちらも有名。ハーンズとかホリフィールドとか)が飛んできて、グローブを外していた。

試合後の拍手は明らかにフェリシアーノの方が大きく、これは彼がメキシカンであることだけが原因ではないだろう。それほど、前評判を覆しての健闘は光った。それでもフェリシアーノがコットやメイウェザーに通用するとは思えず、この夜明らかになったのはシントロンは接近戦に弱いということだけだったかもしれない。

さて、いよいよメインイベント、ヒスパニック系のヒーロー、フェルナンド・バルガスの登場である。(この項続く)

Imgp0190_ 試合前の注意。後ろ手にマイクを持つジミー・レノンJr.の左がトレーナーのエマニュエル・スチュアート。金のトランクスで上を向いているのがカーミット・シントロン。

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2007/11/30

ステープルズ・センターへ(続き)

さて、この日の興行は3部構成になっていて、3時10分スタートの3試合がいわゆるアンダーカードの8回戦。これが終わるとしばらく休憩があって5時からが第二部の10回戦2試合。また休憩があって、7時からの12回戦3試合はペイ・パー・ビュー放送されるのである。

7時になると、まず頭上の大型画面にプロモーターであるドン・キングが出てきて、イラク駐留の兵士たちと一緒にこの試合を楽しみにしていますというコメントがある。そしてその後なんとブッシュ大統領のメッセージが流れると、すかさずブーイング。女性歌手の国歌独唱があって、いよいよ12回戦の一試合目、ローマン・カルマジン(35勝22KO2敗1引分け)とアレハンドロ・ガルシア(25勝24KO2敗)のWBAインターコンチネンタル・スーパーウェルター級タイトルマッチである。

この二人、両方ともこのクラスの元チャンピオンで、カルマジンがIBFの、ガルシアがWBAの世界タイトルをかつて持っていて、今でも世界上位ランカーである。ただ、カルマジンはテクニシャンで一発がなく、ガルシアはKO率は高いものの強豪と当たると途端に決定力がなくなる。だからこの試合だけは判定だろうと思っていたら、ところがどっこい、この試合が一番早かった。

ご存知のとおり西海岸ではヒスパニック系(スペイン語圏からの移民)、特にメキシコ系ボクサーの人気が絶大である。もちろんその代表格がデラホーヤであり、この日のメインイベンターであるバルガスで、この試合のガルシアもメキシコ人である。だからガルシアの入場には場内大歓声、カルマジンの入場にはブーイングという、主役と敵役が非常に分かりやすい顔合わせであった。

しかし、世界的名トレーナー、フレディ・ローチ(マニー・パッキャオのトレーナー)がセコンドを務めるこの日のカルマジンは、非常に出来がよかった。ガルシアの出鼻に左ジャブ、右ストレートが小気味よく決まり、そのたびに左後ろに陣取っていたロシア人のグループが「ハラショー!」「ハラショー!」の連発である。(カルマジンはロシア出身)

そして3R、またもやカルマジンの左右が決まり、さらに左フックをボディへ、右フックをアゴへと追い打ちすると、ガルシアがあっさりという感じでひざをつく。両手もついて背中を丸めた倒れ方(いわゆるorzですねw)は、どう見てもアゴではなくレバーに入った一撃が原因であった。そして、そのままカウントアウト、なんとカルマジンが3RKOで勝利を飾ったのである。

次の試合はIBF世界ウェルター級タイトルマッチ、今回楽しみにしていたチャンピオン、カーミット・シントロン(28勝26KO1敗)の登場である。挑戦者は世界ランク14位のジェシー・フェリシアーノ(15勝9KO5敗3引分け)。戦績も平凡なフェリシアーノが世界挑戦者の地位を獲得したのは、今年3月のUSBAウェルター級タイトルマッチで、その時点で20勝1敗1分けのホープ、デルヴィン・ロドリゲスを番狂わせでKOしたからであった。

それでも、なんといっても相手は強打のシントロンであり、フェリシアーノの勝ち目は薄いというのが大方の見方であった。しかし、フェリシアーノもメキシコ系、場内は大歓声である。一方、シントロンはプエルトリカン、同じヒスパニックといっても、プエルトリコ系は東海岸に多い。彼らのヒーローは、いまもフェリックス・”ティト”・トリニダードである。そして、メキシコ系とプエルトリコ系の仲は決していいということはなく、シントロンの入場はブーイングで迎えられたのであった。(この項続く)

Imgp0174__2 アンダーカードのラウンドガール。リングと席との高低差がお分かりいただけるでしょうか?

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2007/11/29

ステープルズ・センターへ

先週の金曜日はステイプルズ・センターにボクシングを見に行ってきた(注.発音でいうとステイプルズのはずですが、日本では通常ステープルズと表記されるので、表題だけはステープルズとしました。)

なんて書くと何だか生意気だけど、3連休に何かいいイベントはないかなあと探していたらバルガスvsマヨルガがあって、Ticketmasterですぐ席を押さえることができて、ついでにラスベガスに寄ってくることにしてエアも押さえて、ロスとLV合計4泊分のホテルも取って、全部インターネットで事が足りてしまった。いまだに後楽園ホールの席はインターネットで押さえられないのだから、国内よりよっぽど便利である。

11月23日は勤労感謝の日。奥さんに車で成田空港まで送ってもらって第1ターミナルへ。日本時間で3時15分発のNW2、NRT-LAXである。ノースウエストは安く座席指定ができるのでとてもいいのだが、半面、JALや全日空と違って個別のディスプレイがない上、機内食も大変においしくなくて、アルコール類も有料というデメリットがある。

だから前回の遠征からポータブルDVDを持っていくことにしていて、往路の上映番組は「どろろ」「TRICK」「のだめカンタービレ」である。そして、機内食は”No,thank you.”。夕食はいったん持ってくるとなかなかトレイを下げてくれず狭くて嫌なのだが、食べなければその分広くていい。到着前の朝食はフルーツとかジュースだし、すぐ片付けてくれるのでこちらはありがたくいただいた。こうした工夫の成果で、9時間半のフライトはあまりストレスを感じない間に終わってしまったのである。

ロサンゼルス国際空港到着は現地時間の7時15分頃。しかし、入管が開くのが7時半ということでまず機内で待たされ、さらに入管の外国人窓口が二つしかなくて全然進まない。日本時間で真夜中の3時頃だから大層辛い順番待ちになってしまう。手続きが終わったのは結局9時過ぎ。着陸してから2時間近くかかってしまった。タクシーで市内へと向かう。

今回の宿はMiyako Hotel Los Angelesである。日本の都ホテルのグループということは、近鉄系列ということになる。前日から予約してあるので、まだ10時前なのだが問題なくチェックインできる。シングルルームなのにダブルベットが置いてあって、テレビもAQUOSの37型だからなかなかのものである。ただ、湯沸しと書いてあったのにコーヒーメーカーがあったのには面食らった。もちろん豆をいれずに湯沸しとしても使える。

手早くシャワーを浴びてすぐにベッドへ。すばらしく寝心地のいいベッドで、10時から2時過ぎまでぐっすり眠った。ホテルを前日から押さえた甲斐があったというものである。一階の売店で買っておいたオレンジジュースを飲んで、いよいよ出撃。ホテル前に止まっていたタクシーに乗り、10分もかからないうちにあっけなくステイプルズ・センターに着いた。

まだ3時前と早いためか(試合開始3時、メイン3試合7時~)窓口もすいていて、チケットを引き換えてくれるWill Callもすぐに分かった。予約番号の書いてあるメールとクレジットカード、パスポートを窓口に示すとちょっとだけ待ってチケットを渡された。Section101のRaw6、Seat21、ちょうど正面中ほどになる$150のアリーナ席である。$300でリングサイド席になるのだが、この席はバスケットボールのコートに当たる部分で、リングを見上げる位置になる。それよりもリングより上の高さになるアリーナ席の方が見やすいのではないかという読みである。

実際に探して席に座ってみると、予想以上にリングに近い。アリーナ席の6列目で、その前に通路をはさんで、リングサイドも6列だから合わせて前から12列目ということになる。後楽園の階段席の一番前くらいの感覚で、高さ的にはリングよりわずかに上、これより前の列だとリングより下になってしまうというぎりぎりの位置である。そして、21番は通路側の席だった。これも私にはありがたい。

日本の世界タイトルマッチで、この位置この料金で世界一流の選手を見ることなど、とても考えられない。アンダーカードからアナウンスしているジミー・レノンJr,の声を聞きながら、ああ、来てよかったなあ、なんて幸せなんだろう。と、すごく満たされた気持ちになった。(この項続く) 

Staples ステイプルズ・センター。こちらは正面ではなく北側の入口になります。

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2007/11/19

喜連川温泉

宇都宮から北東に3、40分行ったところに、喜連川温泉(きつれがわおんせん)がある。北西に同じくらい行くと鬼怒川温泉で、これはもちろん鬼怒川沿いにあるのだが、喜連川温泉は那賀川の近くにある。那賀川は水戸を通って大洗の北で太平洋に注ぐが、鬼怒川は千葉まで来て利根川と合流する。水源は近いのだが全く異なる水系である。

鬼怒川方面だと、江戸村やワールドスクエア、ちょっと足を伸ばせば日光もあるなど観光施設が数多くあるが、こちらはあまり大したものはない。わずかに、那賀川の「やな」と、焼き物の町として関東近郊では有名な益子と笠間があるので、陶器に興味がある方ならそのついでに寄ることもできる。

この喜連川温泉、ボーリングにより開かれた温泉で開湯は1981年とかなり新しい。ナトリウム-塩化物泉いわゆる食塩泉で、温泉成分表によると硫黄、鉄分を含むとなっているがそういう匂いはしない。海藻に似た湯の花が少し混じっていて、お湯の色は少しだけ黄色がかっている。

今回訪れたのはかんぽの宿日帰り館。この施設には宿泊館と日帰り館があり、入口が違う。料金は600円とさすがに公共施設だけあってお安い。もちろん簡易保険の運用資金で作られているので設備は立派で清潔である。

日帰り館の入口を入ると、円形のホールにそって階段があり、2階が浴室、1階には大広間や休憩室がある。浴室は内風呂と露天風呂。露天風呂というより野外風呂という風情で、風呂からそのまま芝生の庭に続き、はるかに那須連峰を望むいい景色である。ただ、露天と打たせ湯が一緒の浴槽で、そちらを使っている人がいるとお湯の落ちてくる音や飛んでくる水しぶきが気になることも確か。

はじめに述べたようにボーリングされた温泉だが、成分はかなり濃いと評判で、よく温まる。お風呂上りは階下の休憩室で休むことができる。土地のお年寄りで一杯だった。

Imgp0050_かんぽの宿日帰り館

Imgp0048_近くにある那賀川と高瀬観光やな

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2007/11/12

道後温泉

道後温泉はご存知のとおり松山市街から路面電車で10分ほどのところにある。終点からアーケード街のゆるやかな坂を上って2、300mほど行くと、松山市営の道後温泉本館がそびえ立ち、その向こうには温泉旅館街が続く。

この温泉の歴史は古く、伊予国風土記には「法王大王入浴」の記事がある(法王大王は通説では聖徳太子のこととされるが、多分違うだろうと思う)から、6、7世紀からこんこんと湧き続けていることになる。明治時代には松山中学の教師だった夏目漱石が俳人正岡子規らと足しげく通ったそうだし、皇室専用の「又新殿(ゆうしんでん)」も道後温泉本館内にある。

泉質はアルカリ性単純泉。無色無臭で、アルカリ泉特有のぬめぬめ感がある。湧出量がよほど豊富なのか、基本的にかけ流しである。殺菌のため塩素だけ加えているというのが市営らしいところ。ただし匂いなどは全然感じられない。

道後温泉本館で一般の人が入れるのは、神の湯と霊(たま)の湯の2つ。もちろん男女別である。休憩室を利用すると割り増し料金になるが、大したことはない。今回利用したのは霊の湯の休憩室付、1200円である。

階段を2階に上がると係のおばさんがいて、逐一やり方を説明してくれる。まず着替えて、下着と浴衣で1階の風呂に下りていく。バスタオルはなく、浴衣で汗取りをしてくださいといわれるのがちょっと普通と違うところ。

霊の湯は10人は楽に入れそうな広さだが、この日は最初と最後に3人になっただけでほとんど独り占め。お湯は盛大にかけ流してあり、浴槽の縁からどんどん流されていく。豪快である。そして結構深さがあって、底の部分に座ろうとすると顔までお湯に浸かってしまう。だから段になっているところに座るか、お尻が底に付かないように微妙にバランスを取りながら入ることになる。

料金が高いだけあっていい石を使ってあり、お風呂は最高に気持ちいい。建物全体は古く、バリアフリーには一切気を使っていないのでお年寄りにはちょっとつらいかもしれないが、全館禁煙で清潔である。お風呂上がりにはお茶とお煎餅のサービスがある。また、霊の湯利用者は皇室専用風呂「又新殿」を見学することができる。

今回は、仕事で出張があったついでに寄ってきたため一人だったが、次回はぜひ奥さんを連れてきたいところである。ちなみに、「千と千尋」の「油屋」の建物のモデルは、この道後温泉本館だということで、1階にアニメのカット集が置いてあった。

Imgp0149_ 道後温泉本館の正面玄関

Imgp0154_ 角度を変えてもう一枚。三階に見えるのが「ぼっちゃんの間」(夏目漱石の資料が置いてある)

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2007/09/25

2007年秋のマカオ(完結編)

その後一進一退の状況となるが、さまさんの起こしたツラで貯金がありプラス圏での行ったり来たりだからあまり苦にならない。しかしすでに時間は12時近く、正直なところかなり眠い。

中国罫線で小路(シュウロ、1回前の同じ側との対比でみる)の青ヅラが続いていた。みんなバンカーに張っているのだが、青ヅラならプレイヤーではなかろうか。で、チップを置こうとしたら「ノー・モア・ベット」の後で入れてもらえない。開いてみると全員一致のとおりバンカー、そしてディスプレイの小路は青。